再録「富山奇行1 アベの悲劇」
※これは10年前、自主映画「不登校の真実」を撮ったときの日記。
久しぶりに読んだら面白かったのでアップします。(笑)
2002年9月12日午前11時、オレは東京駅にいた。
目的は、富山県に行くことである。
富山で、自主ビデオ映画の撮影と取材をやることが、この旅の目的なのだ。
そして、この旅では、撮影や取材だけではなく、こちらが新聞社等から取材を受けるというオファーもいただいている旅でもあった。
この映画は、拙著『不登校の真実』を原作に、半分はドキュメント。半分はお芝居の“ドキュメント風”な演出で撮り、観ている人に「不登校とは何か?」を問いかける作品にしようというものである。
この旅は、一人旅ではない。
道連れがいる。
名前をアベという。
以前、地方のCF制作会社で勤務していたのだが、映画監督になりたいという思いを断ち切ることができず、上京してきた男だ。
このアベは、上京してきたのはいいのだが、なぜか映像関係の仕事につくことなく、コンピューター関係の仕事に就いており、それなりにカタギとしてうまくいっていたところに、オレが
「助監督をやってくれないか」
と、声を掛けたのである。
声を掛けたといっても、この映画は、当初の予算10万円で撮る“自主ビデオ映画”であり、オレを含めて、参加する人自身が出費をしても、ギャラなど一切出ないという作品なのである。
だからオレは、アベを誘うときも
「この映画は自主映画で、土日とかみんなが休みのときに、集まって少しずつ撮る作品なんだけど、参加してくれないか」
と、頼んだのである。
アベは
「はい、わかりました」
と、だけ答えたのをいまでもハッキリと覚えている。
しかし、その後オレは、なんとなくイヤな予感がして、一週間ほどしてから、いま一度アベに電話をしたのだ。
「オグラだけど、ハリキリすぎるなよ。この映画は、ただの自主映画なんだからな」
そういうオレに対して、アベの答えは意外なものであった。
「ええ、わかっています。でもわたしはこの映画に賭けてみようと思っています」
「賭けるって、だから総予算10万円の自主映画だよ。オーバーだよ」
「でも賭けてみようと思ったんです。だから
会社を辞めました」
「え……」
「だから会社を辞めたんです」
オレは、受話器を落としそうになるのをこらえるのが、精一杯であった……。
つづく