巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

化け物屋敷物語 最終日3 そしてみんな泣いた!


 最終日、ヨシムラさんや山口敏太郎さんはお化け屋敷2階にある劇場でライブやトークショーをやっていた。

 ヨシムラさんがスタッフは全員、2階に上がってきて一緒にライブの時間を共有しようということだったんだけど、遅れてくる人もいれば途中で帰る人もいるわけだから、誰かがシャッター番をしないといけないのね。

 はやりこれはお化け屋敷長の仕事でしょうってことで、店番してたんだけど、実行委員のミヤベッチさんが「屋敷長、上にあがってくださいよ」といってくれたのね。

 でもなんかね、どうも「俺たちはやり抜いたぜ!」っていう気持ちよりもなんか敗北感とか孤独感みたいなのが強くてさ。(苦笑)

 そしたら今度は事務局長のムトーさんが来て、「屋敷長、舞台にあがってくださいよ、もうみんな上がってるんだから」とまた強く勧められて、まあ2階劇場にいったら、舞台の上でお化けやスタッフさんとかが並んでるのね。

 それでも舞台に上がるのを躊躇していたら、ムトーさんかミヤベッチさんかにまた強く進められて、やった上がったの。

 舞台にはプロレスのリングが設置されていて、みんなはそのリングの中にいたのね。


 ぼくは舞台には上がったけど、リングには入れなかったな。

 リングの中に立っている人たちは、他に仕事や学校や家庭があって、それでもお化け屋敷のため本当に苦労をしててさ、ぼくは住み込み専業って感じでやってて、それにしてはダメダメだったな……


オレがもう少し気が利いて能力があったら、みんなにもっといいパフォーマンスをしてもらえたのに、オレは結局みんなに甘えてばかりだったな……


 なんて思ってこのリングに入る資格はないな……なんて思ってたのよ。


 それとなんか疎外感というか、孤独感というか、そんな感傷があってリングに入れなかったんだよ。



やがて舞台挨拶は終わり、最後に実行委員長ヨシムラさんが、みんなに思いをこめて『やながもんの唄』というのを披露してくれた。



『やながもん の 唄』

OH boys この夏のことは もう今日で終わりだよ
OH girls 愛しい叫び声が まだ耳に残ってるね

7月13日 朝見上げた 曇り空に滲んだ朝焼け
100の不安の中の1の希望に賭けて走り出した俺たち

OHboy 夢を追いかけて やっとたどり着いたよ今夜
OHgirls 夢が叶うってことは きっとそういうことなんだろう
...
OH boys 少年の夢を
OH girls あきらめないで
俺は みんなよりも長く生きてきたから 言えることがあるんだ

OH boys やながもんたちよ 今、何を考えてる
OH girls ひとつ言わせてくれ 俺たち伝説を創ったんだ
 


 この歌を聴いてみんな泣いた!

 最初こんなにフテブテしい態度で聴いていた口裂け女





 号泣!








プロレスラー刃駈も


 号泣!




お化け役も受付もやってくれたナカちゃんも


 号泣!




 口裂け女姉妹も



 号泣!



 アルバイトの学生たちも



 号泣!




 そして実行委員長のヨシムラさんもプロデューサーの山口敏太郎さんも



 超弩号泣!






 考えてみればたかが街おこしでやったひと夏のイベント。

 スタッフにしても実行委員にしても、たかがアルバイトかボランティアだったはずなのだ。



 たかがそんなものにみんなが号泣してしまうということは……



 もうこれ涙で、いかにみんなが苦労し、苦悩しながら成功させたイベントであったかがわかる。



 そして、彼らの涙こそが



 涙そのもので、このイベントがいかに大成功であったかがわかる。



 このイベントは、ただのイベントではなかったということだ。


 このイベントは、人の魂を震わし、かかわった人たちの目から涙を溢れさせるほどのものであったのだ!



 このお化け屋敷にかかわった人たちは、みんなこのお化け屋敷を誇っていい!


 このイベントは、それくらい価値のあるものだったからだ。


 おそらく、この街の人たちは、20年たっても30年だってもときどき、「むかしこの街にお化け屋敷があってさあ……」

 と、子どもたちに語るだろう。


 お化け屋敷前の路上ライブで口裂け女に追いかけられた子どもはやがて数十年後


「お婆ちゃんが子どもの頃に、この街に口裂け女に追いかけられてねえ……」


 と孫に語る人がいるかも知れない。


 彼らはそれくらいもの凄いことをしてのけたとぼくは思っている。


(次回、最終回)