死体というもの、特に人間の死体というものは、ひどく人を引き付ける魅力があるらしい。
もし目の前に死体があったら、おそらくほとんどの人は【目を奪われる】と思う。
死体を見るのも嫌だという人だって、一瞬は【目を奪われてしまう】のだ。
ぼくなどは「見たくない派」だが、やっぱり一瞬は見てしまうだろう。
また、世の中には、いわゆる死体写真が大好きという人も世の中にいるらしい。
ちなみに日本では年間100万人の人が死に、8割の人が病院で死ぬため、あまり死体というものを見る機会がない。
おそらく、交通事故でチラ見するか病院やお葬式でチラ見するくらいであろう。
死体をほうっておくと、やがて膿み腐って悪臭を放つようになる。
埋葬のはじまりは、それを隠すためもあるのだろう。
また、日本人にとって死体は【神聖】なものでもある。
だから死体にいたずらをするような人は、あまりいないと思われる。
医学生がはじめて、死体の解剖をするときなど、必ずといっていいほど、耳などを壁に当てて
「壁に耳あり……」
と、やるらしいが、それは畏怖や恐怖の裏返しだという。
また、医科大学への献体や、他人への臓器移植は、自分はいいけど遺族の死体(この場合は遺体という)を切り刻まれるのが、嫌だという人も多いと思う。
やはり死体は神聖で冒涜されたくないのだ。
などと考えながら、昔、こんな小話を考えたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/ogura-osamu/20100621
巨椋修(おぐらおさむ)拝