世の中には歴史を変えた聖人君子といわれる人たちがいる。
仏教創始者、シャカ・シッタルダ
これらの人たちなどは、さしずめ聖人君子の代表といってもいいだろう。
さて、わたし巨椋修(おぐらおさむ)が、独断と偏見でこれら聖人君子を見てみようと思うのだ。
まず、この中で、もっとも痛快な人生を送ったのは、なんといっても『ムハンマド』その人だろう。
ムハンマドの人生は『宗教家』というよりも、むしろ『武将』といったほうがいいような生き様であるのだ。
ムハンマドは6歳で両親と死別し、貧困のなか幼いときから働かねばならず、そのため生涯、読み書きもできなかった。
ムハンマドは25歳のときに、15歳も年上(40歳)の雇い主であるハジージャと結婚、7人も子をなしている。
40歳のときに大天使ガブリエルからのお告げで、イスラム教を開眼、43歳で伝道活動をはじめる。
その後、メッカのユダヤ教徒や大商人から迫害を受け、メッカを追い出されるも、メッカのキャラバン隊を襲い、ラクダや積荷などを略奪をして財を蓄え、幾たびかの戦争をへてメッカ奪還に成功。
戦乱の絶えなかったアラビア半島を統一する。
また、ムハンマドには、最初の妻以外にも複数の妻がおり、その数は4人とも10人以上ともいわれている。
そして62歳のときに、妻の一人であるアーイシャに抱かれながら息を引き取るのである。
こう書くとムハンマドの生涯は、まさしく『宗教家』というより『武将』である。
一方、宗教家らしい生涯は、やはりシャカであろう。
シャカ・シッタルダは、現在ネパール領の千葉県ほどの小さな国、シャカ国の王子として生まれている。
16歳のときに結婚、男の子にも恵まれたが、29歳のときに妻子と国を捨て、ヒンズー教の修行生活に入る。
36歳までの7年間、生死に関わるような苦行・修行をへて、菩提樹の下でついに悟りをひらくのである。
その後、布教活動をして80歳の天寿をまっとうしている。
この2人に比べると、孔子とイエスの生涯は、なんとなく聖人君子らしく感じないのは、巨椋が不勉強のせいだろうか?
例えば、孔子だ。
15歳から学問を志していた孔子は、33・4歳のころに、老子に弟子入りする。
孔子が学者として認められてきたのは40歳くらいからで、わりと遅咲きであったといえよう。
しかし、安定した生活ではなく、主君を求めて諸国を放浪してあるいていた。
孔子の学問は、政治家が民衆を治めるための学問であるから、とにかく主君に仕えなければどうしようもない。
そのため、くだらない人に仕えようとしたり、思い通りにいかず弟子に愚痴をいったりすることも少なくなかったようだ。
孔子の教えは、君主にとっては、大変便利で、『主君が無理難題をいっても、家来はそれに従うのが忠義』というもので、また伝統や儀礼を重んじるあまり、新規なものを取り入れない所があるため、変革や進歩が遅れるということもある。
『儒教』は、日本では思想・哲学として受け入れられているようだが、実は一種の宗教で漢の時代では、国教とされている。
最後にイエス・キリストだが、これまで書いた3人と比べると、どうにもよくわからないのだ。
まず出生が、処女から生まれたことになっているが、どう考えてもそんなことはありえない。
つまり母、マリアが誰かとナニをしてできたのがイエスと考えるのが普通である。
また、シャカのようにもの凄い修行を重ねて覚醒したというものでもない。
ある日、洗礼を受けそのまま40日40夜の断食をすると聖霊が使えはじめるのである。
それからイエスは神の子を名乗り、布教活動をはじめ、奇跡を起こし、ほんの数年の布教活動後、ユダに裏切られる。
ユダの裏切りで捕縛され、死刑になることを怖れたイエスは、神に「なんとか助けてほしい」と泣きながら祈り、そのときうっかり寝てしまった弟子に怒りまくったりしている。
また、イエスが十字架にひかれていくとき、直弟子である使徒たちはみんなイエスを見捨てて逃げ出している。
中でも、イエスの実弟であり12使徒の一人であるペテロなど、ある女から「あんたはイエスの仲間じゃないか」といわれて、「知らない、違う」といって命からがら逃げ出しているほどだ。
そして十字架にかけられたイエスの最後の言葉は
「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ 神よなぜわたしを見捨てたのか!」
と、叫んで絶命している。
一説によると、この言葉は旧約聖書の『詩篇22編』に書かれている
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てるのか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのか。
(中略)わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。
(中略)地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう」
と、最初は神への怨み節、最後は賛美になっている詩があり、イエスは絶命時にこの詩を詠おうとしたのではないかとする説もある。
が、これらのことは、日本人の感覚ではよく理解できない。
師を見捨てる弟子たち、死を直前にして、神をうらみ、吐き捨てる言葉は、日本人の感覚として美しく感じないのだ。
まあ、不信心者の、わたしは、そんな感じで歴史上の聖人君子を見てしまう。
かといって、それらの聖人や宗教をバカにする気はない。
信仰は、どのようなものであろうと、尊重するべきであろうとも思う。
しかしまあ、聖人君子とはいえ、すべて人は人なのだなあと思ってしまう巨椋でした。