巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

西ヨーロッパは元々野蛮地域であった



 キリスト教というのは実に不可思議な宗教である。


 ちなみに教組はイエス・・・ というよりパウロである。パウロはイエスの直弟子ではない。イエスと面識もなかった。正当ユダヤ教徒パリサイ派ファリサイ派)の人で、ユダヤ教の異端であるイエス派を殺したいほど憎み、迫害していたが、ある日天からイエスの声を聴き、改心してイエス派に入った人である。


 新約聖書の著者の1人だが、言っていることがイエスの教えに反することも多く、イエスの一番弟子のペテロに批判的な人であった。


 ちなみにローマカトリックバチカンでは、初代教皇(法王)はペテロとし、コンスタンティノープル東方正教会はペテロとパウロ首座使徒となっている。


 4世紀にローマ帝国キリスト教を国教と定めた。ご存じの通りローマ帝国は、古代ギリシャの叡智を受け継いだ世界的にも先進国の一つであったが、キリスト教が国教となってから、その哲学も科学も失ってしまうのだ。


 漫画や映画の『テルマエ・ロマエ』は、古代ローマの浴場と、現代日本の風呂をテーマとしたコメディ作品であるのを見てもわかるように、ローマ帝国上下水道完備、お風呂大好きという清潔な国であった。



 しかし、昔のキリスト教は聖書以外は認めない宗教であるため、科学の発展を否定する。また多宗教も否定する。キリスト教徒が増えて来たローマ帝国では、しばしばローマに元々あった多神教であるミトラ教の神殿を襲って破壊し、ミトラ教は5世紀に消滅した。


 キリスト教ローマ帝国の国教になった直後、帝国は東西ローマ帝国に分裂する。


 それから100年もしないうちに、北方の蛮族ゲルマン人がモンゴル系のフン族に追われて民族大移動で、西ローマ帝国内にどんどん侵入してきた。


 ゲルマン人とは、イギリスに侵入したのがアングロサクソン族であり、フランスに侵入したのがフランク族と現在の西ヨーロッパ諸国の人々である。


 このゲルマン人、いかに野蛮であったか・・・、たちまちゲルマン人によって西ローマ帝国は滅ぼされてしまう。そしてこのゲルマン人たちもキリスト教を受け入れるのだ。


 東方正教会、つまり東ローマ帝国は別名をギリシャ帝国と言われるほど、古代ギリシャ文明を残しており、ゲルマン人の侵入を防ぎその後1000年近くも存続する。


 日本人は、西ヨーロッパと西ヨーロッパ人が中心のアメリカからある種の洗脳を受けており、世界でもっとも進んだ文明は西ヨーロッパであると思っている。


 しかし、実のところ、このゲルマン人を祖先にもつ西ヨーロッパ人たちは18世紀になるまで、実に野蛮人であった。


 獰猛なゲルマン人が、世界でも珍しい一神教を受け入れる。旧約聖書には「異教徒を殺せ」と書かれている。これは絶対神からの命令だからキリスト教徒は「異教徒を殺さねばならない」ということなのだ。


 だからフリードニヒ2世が率いた第6回十字軍が、エルサレムの奪還に成功したとき、フリード二ヒ2世は戦争ではなく、交渉でエルサレム奪還にした。そのことにローマ教皇教皇庁は大激怒!


 ローマ教皇教皇庁は成功したのになんで激怒したかというと、「異教徒を殺さなかったから」である。


 また十字軍は、同じキリスト教国である東ローマ帝国に攻め込んだりもしている「異端は異教よりも悪い」とは西ヨーロッパとカトリックの理屈なのだ。


 そんな西ヨーロッパだから中世の間は戦争ばかりしている。


 そして異教徒であるユダヤ人やロマ人を殺しまくった。


 魔女狩りや異端審問所は、異教徒や人々が気に入らない人物に汚名を着せて殺すためのものだが、これも「異教徒は殺さなければならない」という理屈からきている。


 カトリックはあまりの腐敗ぶりから、宗教改革が起るが、そうなるとカトリックプロテスタントの戦争が起る。キリスト教徒同士の殺し合いである。


  大航海時代になると、西ヨーロッパ人は精力的にアフリカやアジア、アメリカ大陸に植民地を求めていくが、その土地土地の人々を有色人種であること、異教徒であることを理由に殺しまくっている。


 北米では奴隷にするネイティブアメリカンを殺しすぎて奴隷に使えず、アフリカから黒人奴隷を輸入するようになる。


 さらに西ヨーロッパ人は入浴の習慣がなく、不潔であった。


 日本女性が憧れるかのベルサイユ宮殿には、一応浴槽はあったがマリーアントワネットが来るまで使われることはなかったし、トイレもなかった。


 宮殿には4000人も暮らしていたのだが、腰掛式の便器は300くらいしかなく、おまるで用を足し多くの人は庭や宮殿内の廊下や部屋の片隅で用を足した。おまるに糞尿は庭に捨てるので、ベルサイユ宮殿は異臭まみれであった。



 宮殿だけではなく、パリもロンドンの町も住宅にトイレはなくおまるに用を足し、外に捨てていた。よっと町中に糞尿の匂いが溢れていたという。


 風呂にも入らずトイレもない。これが中世西ヨーロッパだったのである。いまでもパリなどは犬の糞だらけだという。


 イギリスのエリザベス一世女王も月に一度くらいしか入浴しなかったという。


 一方、我々が西ヨーロッパより文化が低いと勝手に思い込まされているイスラム圏や中華はどうか?


 イスラム教ではローマ帝国から入浴の習慣を受け継いでいる。イスラム教は、身体を清潔に保つことが義務付けられており、沐浴や体を洗浄しなければならないのだ。ちなみに西ローマ帝国や西ヨーロッパはキリスト教が国教になったあと、入浴の習慣は無くなったが、東ローマ帝国ではその習慣は残っていたという。


 中華では『礼記』に5日に一度風呂を沸かし、3日に一度頭を洗い、その間、顔の汚れは温めた米のとぎ汁で洗い、足の垢はお湯で洗い、更に手は一日に5回洗うように書かれている。日本人ほど清潔好きではなかったが、街には公衆浴場もあった。実は日本にお風呂の習慣を伝えたのは中華からである。当然宮殿にはトイレはあった。


 実際のところ、18世紀くらいまでイスラム圏や中華のほうが文化的に上であったのは間違いない。


 西ヨーロッパ人が世界を席巻したのは、その凶暴さである。


 戦争には「兵士と一般人の区別」という一般人を攻撃しないというルールがあった。これはオランダの法学者グロチウスが17世紀に記した国際法の基本である。


 しかしこれは白人同氏でのみ通用するルールであり、彼らはこのルールを異教徒や白人以外の人間には使わなかった。それがユダヤ人迫害であり黒人奴隷で中南米の民族虐殺である。
 

 日本は大東亜戦争のとき、西ヨーロッパ人が支配するアメリカと戦争をした。彼らがやったことは何か?


 東京大空襲など非戦闘員が住んでいる町への無差別空爆であり、広島長崎への原爆投下に見られる、非戦闘員への虐殺行為である。


 この行為は、ベトナム戦争でも中東への空爆でもいまだに続いているのだ。ちなみに日本もベトナムも中東も有色人種であり異教徒なのだ。異教徒への無差別な殺人はいまだに絶えていないということなのだ。


 第二次世界大戦後西ヨーロッパがしかける戦争などは少なくなったが、その流れのアメリカという国は、いまだに野蛮国といっていい。


 
 
(世界の戦争1000年の歴史(西洋から見た)より)