巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

聖人たちの共通点 それは断食

さて、前回の続きである。

前回は4人の聖人君子について書いた。


イスラム教のムハンマド
仏教のシャカ。
キリスト教のイエス
儒教孔子、である。


この4人のうち、実は3人が共通の体験をして神からの啓示を受けているのである。


つまり、ムハンマド、シャカ、イエスは、断食という修行中にそれぞれ、覚醒したり、神からのお告げをうけているのだ。

ムハンマドは、ラマダーン月である9月に、山に篭もり1ヵ月の断食をしているときに大天使ガブリエルからお告げがあり、

シャカは、菩提樹の下で49日間、断食と座禅をしているときに悟りを開いた。

エスも荒野で40日40夜の断食のあと、伝道活動をはじめている。



これは何を表しているのかというと、一月以上ほとんど食を断っていると、命に関わるということだ。



簡単にいうと、飢えによる死である。

人は死ぬ直前に、幻覚を見る。

いわゆる臨死体験というやつだ。

臨死体験には共通点がある。


全身が光に包まれる。

大変な開放感。

お花畑。

神や天使、死んだ人が現れたりする。

神との会話や、悟りに似た感覚。

つまりは神秘体験をする。



これは脳が、死の恐怖をやわらげるために起こす幻覚といわれているが、脳内には、覚せい剤よりはるかに強力な脳内物質があるらしく、それが放出され、A10神経という快感を覚える神経を刺激して、トリップしてしまうらしい。


つまり、3人の聖人君子は、自らの脳内麻薬によってラリってしまい、神秘体験をしたと考えられるのだ。



一方、孔子にはあまり宗教色がないためか、あるいは政治の世界で、自分の理想社会を追求しようとしたせいか、他の聖人たちのように宗教的な修行や苦行をしてはいない。


孔子はひたすら学問をし、その学問で得た理想世界を実現するために諸国を周った。
しかしそのためか、残念ながら孔子の理想は机上の空論で終わることが多かった。


近年でも、机上の空論を振りかざした異大な思想家がいた。


資本論』という本を書いたカール・マルクスという男だ。


マルクスは、「万国の労働者諸君! 団結せよ!」と、呼びかけ資本家を倒せと叫んだ男だが、彼自身は、資産家のぼんぼんであり、経済観念ゼロ、親の金を使い込む浪費家であり、金にだらしない男であった。


マルクスは46歳のとき、親の莫大な遺産を相続すると、すぐに豪邸を購入、一年後には無一文になってしまっている。


そのいいわけが、「プロレタリア的生活はここでは不向き」であり、「今年はいつもより少し贅沢した」というものである。


当然、マルクスはまともに妻子を養うことなどできなかったのである。


つまり金さえあれば使い切ってしまう贅沢好きのおぼっちゃんが、労働者に共産主義を呼びかけ、それを真に受けた人たちが、立ち上がり、世界は東西に分かれて数百万、数千万の人たちが殺し合いをしたのである。


なんとも皮肉な話しである。



前回の『聖人君子を評価する』を読んでくれた友人が


「なんだ、聖人君子・・・そう考えると、俺の方がよっぽどえらいじゃないですか!?」


と、いっていたが、まったくその通りである。


いったい、これら数人の聖人君子の名の元に、どれくらいの人が殺されていったのだろう?


わたしは、これら聖人君子といわれる人を特に卑下するつもりはない。


みんなそれなりにいいことも言っていたりする。



だが、わたしはそんな聖人君子よりも、市井の人たちの方がよほど偉いのではないかと本気で思っているのだ。