巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

空手の基本とはなんだろう?

武道・武術における基本とはなんだろう?
スポーツにおける基本とはなんだろうか? おそらく「最大人数のもっとも技術が上手になる動き」なのではないだろうか?
スポーツは種目によって、それぞれ基本がある。野球やテニスの基本は100年前と現在を比べればずいぶん違うはずだ。
 さらにいまはスポーツ科学や医学の発達によって、動きがより合理的に安全に変化しているはずだ。
では武道・武術はどうだろう?
武道・武術において、創始者の動きを最高とし、そこからはみ出ようとはしない。はみ出るときは、新しい流派や団体を創設しないといけない。
剣道は明治時代以降、大日本武徳会が試合規則を定め、競技として成立したものを「剣道」と呼んだ。母体となった流派は、北辰一刀流直心影流神道無念流の3つと言われている。
剣道のことは詳しくないが、その頃のルールはいまと大きく変わっておらず、よって「基本」もあまり変わっていないのではないだろうか?
空手はどうだろう?
空手は大正時代に本土に伝わったとされていて、戦前の空手は「形」(演武)を重視し、型中心の稽古で「約束組手」もあったかどうかよくわかっていないのが実情だ。

空手は「唐手」、つまり「中国拳法」という意味だが、私の友人は、80年代に台湾や中国本土に中国拳法を習いに行っている人がいるが、やはり中国拳法に基本はなく、まず型から練習するのだそうな。
大正時代に入ってきた唐手は、「基本」もなく、当時の大学生たちが「型」を分解したり巻き藁突きや蹴りと、剣道や剣術の基本稽古を参考に「空手道の基本を作った」と、空手の古い本で読んだことがある。

いまの空手家たちが一生懸命に練習している基本は、ほんの数年しか唐手を学んでいない、大学生たちが作ったものなのだ。
 
自由組手(試合形式の練習)もなかったので、東大の学生たちは希望で剣道の防具を参考にして、空手用防具を作り、沖縄から空手を持ち込んだ船越儀珍大先生は激怒したという。

日本空手界の父、船越儀珍先生は防具付き空手で稽古している帝大性に激怒し、帝大の指導を辞めたという
船越は当初15の型を持参して上京したが、組手はほとんど知らなかったらしい。
やがて空手競技のルールは、寸止めルール、フルコンタクトルール、防具付きルールなどに別れていく。
そしてどのルールにしても、試合技術は基本とはかけ離れたものになっていると思うのだ。
しかしいまも基本稽古のやり方は変わらない。
偉い先生も言う。「基本は大事」「迷ったら基本に帰れ」と。だがその基本は100年くらい前に、空手を数年しか学んでいない学生たちが、作ったものなのだ。
「競技」は変化する。しかし武道の「基本」は変化しない。他スポーツの基本はどんどん変化する。マラソンや100メートル走の基本は、100年前と違うと思うのだがどうだろう。
そして武道における「基本」とは何なのだろう? 柔道の場合、保守的であるがためにヨーロッパについていけなくなった。
空手はどうだろう? ぼくはいまだに空手の基本がよくわからないし疑問に思うところも多いのだ。

同性愛者はなぜ差別されるようになったのか?

同性愛者はなぜ差別されるのかを調べてみた。
 
まず生物学的に差別の理由はない。同性愛は石器時代からあり、動物の同性愛は多い。キリンの9割のカップルは雄同士だ。
 
サル、ウシ、ゾウなど多くの動物に同性愛は見られる。
 
子孫を残さないということもない。
 
同性愛者でも異性と結婚したりSEXをして子どもを作る場合は多い。むしろ昔はそれが普通であった。つまり社会的に不都合はない。
 
 戦前以前の日本、昔のイスラム社会、古代中国や古代ギリシャでも普通のことだった。
 
でななぜ現在、同性愛者やLGBTはバッシングを受けるのか?
 
 
一つは社会的教育である。
 
戦後のアメリカ式民主教育から同性愛=ヘンタイというイメージができたようなのだ。
 
アメリカ式民主教育は、キリスト教的民主教育といっていい。
 
クリスチャンは、同性愛に厳しい。聖書に同性愛は忌むべきものと書かれているからだ。
 
ちなみに日本では欧米の批判を怖れた明治政府が明治5年に「鶏姦(けいかん)罪」(アナルセックスのこと。つまり男性同性愛)を発布したが、明治13年にこの罪は消滅している。
 
理由はあまりにも同性愛が当たり前でやめる人などいなかったからだ。
 
太平洋戦争後、日本人はアメリカに支配され思想まで替えられたため、その後同性愛=ヘンタイ、忌むべき差別の対象となったようなのだ。
 
それともう一つ。ヒトは自分たちの仲間ではないと認識したとき強烈は差別意識が生まれる。
 
これもその人が生まれ育った社会的教育の結果なのだが、同性愛をバッシングしているヒトは、「彼らは我々の仲間ではない。=バッシングしてもいいのだ」と、考えているためらしい。
 
そろそろそういう思想から離れてもいいのではないだろうか?

排卵・妊娠の不思議

エロ漫画やAVなどでは、強姦された女性がやがて感じてしまうなんていう描写がザラにある。本当だろうか? 動物学者の竹内久美子さんの「三人目の子にご用心」によると、少なくとも妊娠しやすくはなるらしい。

 

第二次大戦でドイツに勝利したソ連兵は全ドイツで少なくとも200万人のドイツ女性を強姦し、ベルリンでは13万人が犯され、そのうち1万人が自殺したという、悲劇が起こっている。

ある医師が、このとき強姦された女性たちを調べたところ、妊娠率が驚くほど高かったそうだ。排卵期の女性はすべて妊娠し、排卵期ではない、つまり本来は妊娠しないはずの女性も妊娠した例が多かった。

妊娠しやすい排卵期はひと月のうち5日間しかない。どうやら強姦が排卵を呼び込んだらしい。

 

 

女性の肉体というのは不思議なもので、急激な不安とか興奮状態になったとき、排卵が起こることが多くなる。つまり妊娠しやすくなるようだ。

過去の例では、1941年12月に起こった日本軍の真珠湾攻撃の1年後、1965年のニューヨーク大停電の1年後、2005年の超大型台風カトリーナが襲った1年後に出産ラッシュが起こっているのだ。

しかし、排卵が起こりやすくなるというのと発情、つまり性的興奮とは必ずしも一緒ではないだろう。

 

さて、話を変える。

アダルトサイト『FANZA』が2018年発表したデーターによると、女性ユーザーの検索ワード第2位が「痴漢」というジャンルであった。「強姦」は全25位中21位と高くない。これは何を表しているのか。

 

『強姦願望』という言葉がある。たしかにそういった妄想を抱く女性はいるらしい。ただし「妄想」の世界であり現実ではない。AVにおける女性ユーザーの検索ワードで「痴漢」が多いのも、妄想ゆえかもしれない。

また、SMプレイのMを好む女性も少なくない。恋人同士や夫婦で「強姦ごっこ」を好む女性もいる。これも妄想の延長線上の行為であろう。

 

しかし本当の強姦は違う。独ソ戦争後ベルリンでは13万人が犯され、そのうち1万人が自殺したことを思いだしてほしい。

被害者が、鬱や、強い不安障害、性障害、摂食障害や、自殺を考えるなど後々まで苦しむ場合も少なくない。

 

強制性交等の認知件数は、令和3年(2021)は1388件であった。

刑法によると強姦(強制性交)をした者は、5年以上の有期懲役となる。

 

 

 

 

日本人は大昔よりコメを食べてきたからコムギは合わないだって?

日本人が白米を3色食べられるようになったのは戦後しばらくしてから

日本人は大昔よりコメを食べてきたからコムギは合わないという人がいるが、特権階級以外の日本人が三食白米を食べられるようになったのは戦後の昭和30年代(1955~1965年)になってかららしい。。

それまでは、記録によると、白米飯を常食にしていたのは東京都区部のうち下町と山の手に限られ、葛飾(昔葛飾は下町ではなく郊外であった)や大森のような都会ではない場所では、コメは2~3割の麦を混ぜた麦飯とある。


都市部以外では、基本コメは2~3割でムギ、ヒエ、アワなど雑穀や大根や豆など野菜類を混ぜて食べるのが常食。これを「かて飯」といった。


白米だけのごはんは、正月や祝い事のときの超ご馳走だったわけよ。

農村の「食」の変容からみた近代史―農村調査資料に聴く」によると


江戸時代、コメはお金の代わりだったし、戦前の小作農は地主に土地代がわりにコメで支払ってた。おコメで物が買えたと聞いたこともある。戦前の日本人にとって、白米をパクパク食べるっていうのはお金を食べるようなものだったのかもね。

【1936 年生れの山下惣一佐賀県、農業・作家)
は以下のように述べている。
コメの飯は盆、正月と祭りのときだけ。わが家では昭和 38 年までコメの飯はハレ日の食事に限られていました。「白いごはんを腹いっぱい食べたい」というのは私たちの世代の農村の子どもにとって夢だったのです。】

とある。本当の意味で、おコメが日本人の主食になったのは、つい最近のことと言えるのかもね。

白米の多食はユダヤの陰謀だった⁉

白米陰謀論というのを考えた。
なんでも陰謀論のひとつに戦後、GHQが日本に小麦粉を押し付けることで日本を食から支配しようとしてというものがある。

陰謀論政党「参政党」の吉野敏明氏は、
『小麦とはメリケン粉、つまりアメリカから来た粉ですから、戦前の日本には存在しませんでした。メリケン粉を食べるようになってから、日本人のがんが増えているわけです』
と、小麦粉は少なくとも平安時代以前から日本にある。うどんやそうめんがあり、戦国時代には南蛮菓子としてカステラが作られていた。
江戸時代になり日本人の健康を損なったのは小麦粉ではない。白米である。日本で白米が食べられたのは江戸・大阪といった大都市のみであった。
 
やがて明治維新になり、日本は帝国陸海軍を抱えるようになる。
 
日本に脅威を覚えたロシアのユダヤ金融機関は、日本にある噂を流す。「軍隊に入ったら白まんまが腹一杯食える」という噂である。
日本は瑞穂の国というほどコメ信仰がある国であり、庶民にとって白米を腹いっぱい食べるというのは夢であったのだ。
軍隊に入ったらその夢がかなうと思った人々は軍隊に殺到した。軍としても白米を食わさないと反乱がおこるかもしれず食わすしかなかった。食わしてさえいえば、日本人はいうことを聞いた。
ユダヤ人は知っていたのだ。白米を食べすぎるとビタミンB1欠乏症である脚気になることを。玄米、胚芽米、雑穀米、麦飯、パンなどにはビタミンB1が入っているが、白米には入っていないことを。
海軍はこの陰謀に気が付きいち早く、パン食など小麦粉を使った料理を使ったため、脚気による死亡者は出なかったが、陸軍は悲惨であった。
日露戦争では戦死者より脚気による死亡者の方が多かった。
そして断固として、陸軍に小麦粉食や麦飯を入れなかったのが鴎外森林太郎であったことは知られた事実だ。

文豪森鴎外は軍医でもあった
森鴎外は、ロシア系ユダヤ人と組むことで陸軍最高位の軍医の地位と、小説家による地位を手に入れたのである。
ちなみに日本人はその後もこの陰謀のせいで脚気に苦しめられ、1960年代に発売されたアリナミン脚気予防の薬であることはあまり知られていない。

戦後しばらくまで脚気は国民病であった


※白米陰謀論はジョークだけど、陸軍が白米に固執し、脚気で多くの死者を出したのは事実。それをリードしたのが森鴎外であるのは事実で、海軍がパン食等で脚気による死者がでなかったのも事実なんだよね

女子の「大丈夫です」を信用してはいけない

格闘技や殺陣アクションを指導している巨椋修(おぐらおさむ)です。

さて昨夜のことだ。この写真女子が稽古に来たのだよ。


最初は彼女とマンツーマン。礼をして体操をしてたら、どうも普段より動きが雑なのね。で、
 
「大丈夫? 調子わるいの?」
「大丈夫です」
 
マスクしてて眼鏡だったから顔色はわからない。
(生理なのかな)と思いつつ、この子は前々から調子が悪くても頑張る子だし、生理だったとしてもおっさんには言いたくないだろうしと、こっちも気を使って聞かない。
 
で、もう一度
 
「調子わるいの?」
「大丈夫です」
 
(もしかしたら、風邪かもな~)などとも思いつつ、二人だけだったので、普段ならおでことか首を触って体温とか脈拍をさぐるのだけど、遠慮してこっちもそれはしない。
 
(でもなんか変だぞ)と思い雑談しつつ何度目かの
 
「大丈夫?」と聞くと「大丈夫です」と・・・
 
で、(あ、この子、暑気あたりかもしれない)と思い、マスクを外させてお水を飲ませ、しばし寝かせ、冷たいペットボトルで首やわきの下を冷やしてから帰ってもらった。
 
いやね、自分の中に「練習中の熱中症」という設定はあったのだけど、「熱中症の子が練習に来る」という設定はなかったのだよ。
 
あぶないあぶない。
 
気が付かずに練習をさしていたら危険なことになっていたかも。
 
女の子の大丈夫は本当に気を付けないとね。

そして帰った後LINEで「大丈夫?」と連絡したら、今朝「大丈夫です」と返事が来たのでした。

学校教育の気持ち悪さ




我が国では6歳になると、親は我が子を学校に【行かせなければいけない義務】があるらしい。

 

子どもが6歳になると、親もおじいちゃんおばあちゃんも

 

「良かったねえ、楽しみだねえ」

 

などといって、一個数万円のランドセルなどを買い与え、いかにも【これから良いところに行くんだよ】と、いった猫なで声で語り掛ける。

 

まだ6歳の子どもは素直に喜ぶ。

 

「早く行きたいなあ」

 

と・・・

 

しかし子どもは知らないのだ。

 

 

そこが戦場であることを・・・

 

 

学校は子どもを洗脳する場であり、そして競争社会の第一歩だ。親は(無意識に)それを知っているから、小学校に入学する前に読み書きや、算数を教え出す。

 

 

戦場で後れを取らないために

 

 

学校の建前は、読み書きや基礎的な学習をさせることとされているが

 

 

本当は違う

 

 

学校は、社会的に平均的、画一的な人間を養成するための工場なのだ。

 

だから、学校でじっとしていられない、先生のいうことを聞かない子は、こっぴどく叱られるが

 

 

勉強ができない子は叱られない。注目もされない。

 

 

別に叱れと言っているわけではない。もし本当に学習が目的なら、その子を手厚くカバーしてあげればいいはずなのだが、なぜか学校では、勉強ができない子は、置いていかれるだけだ。

 

子どもは先生や大人に対して、従順であるのが一番いい。その次に成績が良かったりすればいい。

 

本の学校教育は、休憩時間と休憩時間の間、大人しく座っており、できればそれなりに勉強についていければそれでいい。そんな子を量産する工場なのだ。

 

学校には運動会というものがある。そこでいまでも行われているのが【行進】だ。日本の子どもは原始時代から明治時代まで、行進なるものを教えられたことがなかった。(当たり前だ(笑))

 

体育の時間や朝礼などがあり、そこでは【整列】するよう言われる。つまり集団行動をするように教えられるわけだ。

 

 

休み時間と休み時間の間、大人しくしており、行進や整列ができる人間を作る。それが学校の第一目的といっていい。

 

 

そして大人はいう。【みんな仲良く】と。

 

いま心を病む若い人が多いというが、そんなの当たり前だと思うよ。