空手は「唐手」、つまり「中国拳法」という意味だが、私の友人は、80年代に台湾や中国本土に中国拳法を習いに行っている人がいるが、やはり中国拳法に基本はなく、まず型から練習するのだそうな。
いまの空手家たちが一生懸命に練習している基本は、ほんの数年しか唐手を学んでいない、大学生たちが作ったものなのだ。
エロ漫画やAVなどでは、強姦された女性がやがて感じてしまうなんていう描写がザラにある。本当だろうか? 動物学者の竹内久美子さんの「三人目の子にご用心」によると、少なくとも妊娠しやすくはなるらしい。
第二次大戦でドイツに勝利したソ連兵は全ドイツで少なくとも200万人のドイツ女性を強姦し、ベルリンでは13万人が犯され、そのうち1万人が自殺したという、悲劇が起こっている。
ある医師が、このとき強姦された女性たちを調べたところ、妊娠率が驚くほど高かったそうだ。排卵期の女性はすべて妊娠し、排卵期ではない、つまり本来は妊娠しないはずの女性も妊娠した例が多かった。
妊娠しやすい排卵期はひと月のうち5日間しかない。どうやら強姦が排卵を呼び込んだらしい。
女性の肉体というのは不思議なもので、急激な不安とか興奮状態になったとき、排卵が起こることが多くなる。つまり妊娠しやすくなるようだ。
過去の例では、1941年12月に起こった日本軍の真珠湾攻撃の1年後、1965年のニューヨーク大停電の1年後、2005年の超大型台風カトリーナが襲った1年後に出産ラッシュが起こっているのだ。
しかし、排卵が起こりやすくなるというのと発情、つまり性的興奮とは必ずしも一緒ではないだろう。
さて、話を変える。
アダルトサイト『FANZA』が2018年発表したデーターによると、女性ユーザーの検索ワード第2位が「痴漢」というジャンルであった。「強姦」は全25位中21位と高くない。これは何を表しているのか。
『強姦願望』という言葉がある。たしかにそういった妄想を抱く女性はいるらしい。ただし「妄想」の世界であり現実ではない。AVにおける女性ユーザーの検索ワードで「痴漢」が多いのも、妄想ゆえかもしれない。
また、SMプレイのMを好む女性も少なくない。恋人同士や夫婦で「強姦ごっこ」を好む女性もいる。これも妄想の延長線上の行為であろう。
しかし本当の強姦は違う。独ソ戦争後ベルリンでは13万人が犯され、そのうち1万人が自殺したことを思いだしてほしい。
被害者が、鬱や、強い不安障害、性障害、摂食障害や、自殺を考えるなど後々まで苦しむ場合も少なくない。
強制性交等の認知件数は、令和3年(2021)は1388件であった。
刑法によると強姦(強制性交)をした者は、5年以上の有期懲役となる。
日本人は大昔よりコメを食べてきたからコムギは合わないという人がいるが、特権階級以外の日本人が三食白米を食べられるようになったのは戦後の昭和30年代(1955~1965年)になってかららしい。。
それまでは、記録によると、白米飯を常食にしていたのは東京都区部のうち下町と山の手に限られ、葛飾(昔葛飾は下町ではなく郊外であった)や大森のような都会ではない場所では、コメは2~3割の麦を混ぜた麦飯とある。
都市部以外では、基本コメは2~3割でムギ、ヒエ、アワなど雑穀や大根や豆など野菜類を混ぜて食べるのが常食。これを「かて飯」といった。
白米だけのごはんは、正月や祝い事のときの超ご馳走だったわけよ。
「農村の「食」の変容からみた近代史―農村調査資料に聴く」によると
江戸時代、コメはお金の代わりだったし、戦前の小作農は地主に土地代がわりにコメで支払ってた。おコメで物が買えたと聞いたこともある。戦前の日本人にとって、白米をパクパク食べるっていうのはお金を食べるようなものだったのかもね。
【1936 年生れの山下惣一(佐賀県、農業・作家)
は以下のように述べている。
コメの飯は盆、正月と祭りのときだけ。わが家では昭和 38 年までコメの飯はハレ日の食事に限られていました。「白いごはんを腹いっぱい食べたい」というのは私たちの世代の農村の子どもにとって夢だったのです。】
とある。本当の意味で、おコメが日本人の主食になったのは、つい最近のことと言えるのかもね。
我が国では6歳になると、親は我が子を学校に【行かせなければいけない義務】があるらしい。
子どもが6歳になると、親もおじいちゃんおばあちゃんも
「良かったねえ、楽しみだねえ」
などといって、一個数万円のランドセルなどを買い与え、いかにも【これから良いところに行くんだよ】と、いった猫なで声で語り掛ける。
まだ6歳の子どもは素直に喜ぶ。
「早く行きたいなあ」
と・・・
しかし子どもは知らないのだ。
そこが戦場であることを・・・
学校は子どもを洗脳する場であり、そして競争社会の第一歩だ。親は(無意識に)それを知っているから、小学校に入学する前に読み書きや、算数を教え出す。
戦場で後れを取らないために
学校の建前は、読み書きや基礎的な学習をさせることとされているが
本当は違う
学校は、社会的に平均的、画一的な人間を養成するための工場なのだ。
だから、学校でじっとしていられない、先生のいうことを聞かない子は、こっぴどく叱られるが
勉強ができない子は叱られない。注目もされない。
別に叱れと言っているわけではない。もし本当に学習が目的なら、その子を手厚くカバーしてあげればいいはずなのだが、なぜか学校では、勉強ができない子は、置いていかれるだけだ。
子どもは先生や大人に対して、従順であるのが一番いい。その次に成績が良かったりすればいい。
日本の学校教育は、休憩時間と休憩時間の間、大人しく座っており、できればそれなりに勉強についていければそれでいい。そんな子を量産する工場なのだ。
学校には運動会というものがある。そこでいまでも行われているのが【行進】だ。日本の子どもは原始時代から明治時代まで、行進なるものを教えられたことがなかった。(当たり前だ(笑))
体育の時間や朝礼などがあり、そこでは【整列】するよう言われる。つまり集団行動をするように教えられるわけだ。
休み時間と休み時間の間、大人しくしており、行進や整列ができる人間を作る。それが学校の第一目的といっていい。
そして大人はいう。【みんな仲良く】と。
いま心を病む若い人が多いというが、そんなの当たり前だと思うよ。