我が国では6歳になると、親は我が子を学校に【行かせなければいけない義務】があるらしい。
子どもが6歳になると、親もおじいちゃんおばあちゃんも
「良かったねえ、楽しみだねえ」
などといって、一個数万円のランドセルなどを買い与え、いかにも【これから良いところに行くんだよ】と、いった猫なで声で語り掛ける。
まだ6歳の子どもは素直に喜ぶ。
「早く行きたいなあ」
と・・・
しかし子どもは知らないのだ。
そこが戦場であることを・・・
学校は子どもを洗脳する場であり、そして競争社会の第一歩だ。親は(無意識に)それを知っているから、小学校に入学する前に読み書きや、算数を教え出す。
戦場で後れを取らないために
学校の建前は、読み書きや基礎的な学習をさせることとされているが
本当は違う
学校は、社会的に平均的、画一的な人間を養成するための工場なのだ。
だから、学校でじっとしていられない、先生のいうことを聞かない子は、こっぴどく叱られるが
勉強ができない子は叱られない。注目もされない。
別に叱れと言っているわけではない。もし本当に学習が目的なら、その子を手厚くカバーしてあげればいいはずなのだが、なぜか学校では、勉強ができない子は、置いていかれるだけだ。
子どもは先生や大人に対して、従順であるのが一番いい。その次に成績が良かったりすればいい。
日本の学校教育は、休憩時間と休憩時間の間、大人しく座っており、できればそれなりに勉強についていければそれでいい。そんな子を量産する工場なのだ。
学校には運動会というものがある。そこでいまでも行われているのが【行進】だ。日本の子どもは原始時代から明治時代まで、行進なるものを教えられたことがなかった。(当たり前だ(笑))
体育の時間や朝礼などがあり、そこでは【整列】するよう言われる。つまり集団行動をするように教えられるわけだ。
休み時間と休み時間の間、大人しくしており、行進や整列ができる人間を作る。それが学校の第一目的といっていい。
そして大人はいう。【みんな仲良く】と。
いま心を病む若い人が多いというが、そんなの当たり前だと思うよ。