日本人は大昔よりコメを食べてきたからコムギは合わないという人がいるが、特権階級以外の日本人が三食白米を食べられるようになったのは戦後の昭和30年代(1955~1965年)になってかららしい。。
それまでは、記録によると、白米飯を常食にしていたのは東京都区部のうち下町と山の手に限られ、葛飾(昔葛飾は下町ではなく郊外であった)や大森のような都会ではない場所では、コメは2~3割の麦を混ぜた麦飯とある。
都市部以外では、基本コメは2~3割でムギ、ヒエ、アワなど雑穀や大根や豆など野菜類を混ぜて食べるのが常食。これを「かて飯」といった。
白米だけのごはんは、正月や祝い事のときの超ご馳走だったわけよ。
「農村の「食」の変容からみた近代史―農村調査資料に聴く」によると
江戸時代、コメはお金の代わりだったし、戦前の小作農は地主に土地代がわりにコメで支払ってた。おコメで物が買えたと聞いたこともある。戦前の日本人にとって、白米をパクパク食べるっていうのはお金を食べるようなものだったのかもね。
【1936 年生れの山下惣一(佐賀県、農業・作家)
は以下のように述べている。
コメの飯は盆、正月と祭りのときだけ。わが家では昭和 38 年までコメの飯はハレ日の食事に限られていました。「白いごはんを腹いっぱい食べたい」というのは私たちの世代の農村の子どもにとって夢だったのです。】
とある。本当の意味で、おコメが日本人の主食になったのは、つい最近のことと言えるのかもね。