クリスマスはイエスの誕生を祝うお祭りであってイエスの誕生【日】を祝うお祭りではないのでした。
起源はインド発祥のミトラ教の冬至の祭りで、ミトラ教がギリシャやローマに入ってきたのを、4世紀あたりのキリスト教徒が取り入れたと言われているのでした。
クリスマスツリーの起源は中世ドイツの演劇でアダムとイブの物語をやったとき、「善悪の知識の木」(知恵の樹)が起源であるという説があります。(※諸説あり)
生命の木の実は禁断の果実であり、それを食べたアダムとイブは楽園を追放されるのですが、その果実はリンゴ・いちじく・バナナ・ブドウ説があります。(実は他にもたくさんあります)
エデンの園にあった禁断の果実。 ユダヤ教ではこの果実は小麦だったのではないかという説があります。
人類が農耕をはじめたのがメソポタミアで小麦の栽培が最初。
ぼくは旧約聖書の失楽園神話は、狩猟採集時代が終わり、人類が農耕をはじめた記憶ではないか? と考えております。
その理由として、旧約聖書の楽園神話やノアの大洪水のモデルは、元々が人類最初の文明であるメソポタミア文明にあった神話だと言われているのです。
メソポタミアの言葉で、エディンという意味は草原・平地であり、世界最初の農耕が行われたのもメソポタミア。このエディンはエデンの園のエデンの語源でありましょう。
狩猟採集時代は、労働時間も短く食べ物も豊富、でありましたが、農耕をやるようになってから長時間の重労働となり身分制度や貧富の差が生まれ、大規模な戦争も起こるようになりました。
農耕をはじめたのが失楽園のはじまりではなかったかと考えています創世記の3章にはこう書かれているからです。
「 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る」
楽園にいるときには顔に汗して働かなくても良かったということです。しかし農耕をはじめるとそうも行きません。農地を守るため、朝から日が暮れるまで働かなくてはいけなくなりました。
もしかしたらもっと古い記憶が創世記の楽園神話かも知れません。やはり創世記の3章に最初の女であるイブに神がこういうのです。
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む」
人類の出産が大変危険で痛みや苦しみをともなうようになったのは、人類がまだサルで木の上での生活をやめ、平原で2足歩行をするように進化したためと言われています。
それまでのサルの時代であれば、出産はそれほど危険ではありませんでした。
また、エデンの園、楽園を追い出されたのは、楽園にあった「善悪の知識の木」の実を食べたから。
聖書に詳しくない人のために解説すると、アダムとイブはエデンの園の中で果実を何でも自由に好きな食べることができました。ただし、2つの木以外のものなら。
それは「生命の木」と「善悪の知識の木」の2本になる木の実です。
アダムとイブはそのうちの1本である「善悪の知識の木」の実を食べてしまいました。するとどうなったでしょう? 創世記にはこう書かれています。
「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」
つまり覚醒したのです。
創世記3章の最後に神がこう語っています。
「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった」
人類は善悪を知るようになったのです。
そしてはじめて自分たちが裸でいることに気が付き、恥ずかしくなっていちじくの葉で性器を隠しました。
これは自分たちの人類の頭脳が格段に良くなったことを表しているのではないでしょうか?
ちなみに楽園追放のときに、神は二人に皮の服をプレゼントしています。もしかしたら人類最初の服は、動物の毛皮であったのかも知れません。
そしてアダムとイブは楽園を追放され、苦労して生きることになります。彼らの長男カインは農耕をはじめ、アベルは牧畜をはじめます。
その後、カインは弟のアベルを殺してしまうのです。創世記ではその原因は神がカインの作った農作物の捧げものを無視し、弟の捧げもの、子羊を喜んだたため、兄が弟に嫉妬して殺してしまうのです。
これはもしかしたら農民と遊牧民の土地争いを表しているのかも知れません。神が遊牧民である弟アベルの捧げものを喜んだのは、この伝承を伝えるイスラエル人(ユダヤ人)が遊牧民であったからかも知れません。
と、たかだかクリスマスの話題からいろいろ飛躍をしてしまいましたが、こういうことを想像してしまいました。
あ、そうそう今夜クリスマスパーティーをやろうとしている異教徒諸君に教えて進ぜましょう。 クリスマスとは24日のイブニングから25日の日没までをいうのです。(ユダヤ暦や昔のキリスト教では日没から日没までが1日)
つまり今夜はもうクリスマスではないのであります。残念!
巨椋修(おぐらおさむ)拝