巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

伊東へGO! 伊東珍道中記

先週、つまり2014年6月21〜22日、伊東へ旅してきた。


ことのおこりは、川保天骨という友人が「巨椋さん、空手バカ一代に出てくる最後の主人公、添野義二先生に会いにいきませんか?」という言葉ではじまったのだ。


添野義二先生、空手バカ一代という70年代を代表する空手漫画で「城西の虎」もしくは「極真の虎」と異名をとった空手の達人である。



(『空手バカ一代』より)

天骨さんはある雑誌を企画しており、添野先生にインタビューをしようというのだ。

添野先生はいま伊東にいるという。我々は21日(土)に、天骨さんの事務所に集合し伊東へ向かうこととなった。


午前11時、わたしが天骨さんの事務所を訪ねると、天骨さんは「いま地図で道路を調べているところです」という。


「ぼく、ナビとか大ッキライなんですよ。道はね、自分で調べて行かないと面白くありませんから」


と、笑っていったものだ。

念入りに地図を眺めていた天骨さんは「よし! わかった! では行きましょう!」といい、我々は天骨さんが運転する自動車に乗り込んだというわけだ。


「巨椋さん、伊東へは東名を走って“小田原東”で降りますので、標札を見ていてくださいね」


と、天骨さんはいった。車は東名高速道路に入り、一路伊東を目指す。


川保天骨は、大道熟という打撃・投げ技・寝技アリの実戦空手団体が主催する北斗旗という大会で優勝経験があるツワモノでもある。

それでいて、元カメラマン、いまは出版物やDVDなどを制作会社を経営し、さらに河崎実さんという映画監督と一緒に『ルナベース』というBARも経営しているという多才な男なのだ。


ちなみに、この『ルナベース』というお店は、偶然にもわたしがいろいろとイベントに使わせていただいているのだが、天骨さんが経営していたとは知らなかった。天骨さんとは知り合って20年近くになるというのに(笑)。


ともあれ、伊東への道中はずっと冗談を言い合う楽しいものであった・・・ あることに気がつくまでは・・・


東名をどんどん走っていき、やがて東京から神奈川へ・・・ やがて足柄山、箱根へと近づいていった・・・ 


でもおかしい・・・ そろそろ“小田原東”なる標札が見えてきても良さそうだ・・・



なんとなく不安になって、道路マップを見てみる・・・ ない・・・ どこを探しても東名高速道路に“小田原東”というインターチェンジなどないのだ・・・



もっとよく地図を見てみると“小田原東”というインターは、東名ではなく小田原厚木道路という道ではないか!



「て・・・天骨さん、ヤバイぞ! 我々は道を間違えているらしい」



「え?」


「本当なら我々は厚木で降り、小田原厚木道路に乗り換えなければならなかったんだ!」


「えええ!?」


天骨さんの全身から大量の汗が吹き出した。なんといっても極真の猛虎と畏れられた人のところに行くのである! 遅刻はまずいだろう。


「おおおお巨椋さん、Uターンして厚木に戻りましょう!」


「いま厚木に引き返したら3時間くらいのロスタイムが出る! 次のインターで降りたら、幸いにも小田原に着く道がある! それが最短距離だ!」


我々は、箱根の森美術館や足柄山を横を通り抜け、ひたすらに急いだ!


道を間違えたために遅刻は必至である!


天骨さんの顔がひきつり焦る!




わたしは早々にあきらめた。もし遅刻して、添野先生からお叱りを受けたとしても、あの大添野先生からお叱りを受けるというのは光栄かも知れない。もはや誠意をつくして誤るしかないのだから。


添野先生は、極真空手の第二回世界大会のとき、アントニオ猪木異種格闘技戦で戦う直前のウイリー・ウイリアムスが、試合中、突然反則をして暴れだしたとき、相手選手にのしかかるウイリーを、チョイっと足払いかけてひっくり返すほどの実力者である。


(3分30秒あたりにそのシーンがあります)

わたしとしては、遅刻をしても添野先生とお会いしてみたいという思いがあった。


我々はさらに渋滞などに巻き込まれ、3時着の予定がなんと5時着となってしまった。

天骨さんがいった。




「あ〜、なんでナビ付けなかったんだろ!」




アンタ出るときに「ナビなんて大ッキライ」っていってたやんけ(笑)!




いよいよ、場所の着く直前に、天骨さんがぼくに言った。


「巨椋さん、付いたら玄関のチャイムのところからビデオカメラ回しますからね」


「え? ビデオカメラ回す? 雑誌の取材でなんでビデオ撮るの?」


「これ、DVDですから」


聞いてない、聞いてないよ〜!

玄関開けたら、遅刻で怒ってる添野先生がいたらどーすんだよー。

着いた。


天骨さんがカメラを回しながらチャイムを押す。


伝説の空手家添野先生が、にこやかに笑いながら出てきてくださった。


「やあ〜、道に迷ったって大変でしたね」と、優しくいってくださり、そして握手をしてくださった。


強い男は優しいのである。


添野先生が待っていてくださったのは、伊東にある故梶原一騎先生が構えていた空手道場である。

道場の前には梶原先生の記念碑があった。

一緒に写真を撮らせていただく。




このあと、道場内に行き、いろいろと面白いお話しをうかがったのであるが、それはその雑誌を読んでいただきたい。


ひとつだけ。

添野先生が全日本選手権に出たとき、相手選手の突きをひょいと掴んで投げ飛ばしたことがある。

この写真のシーンだけど、演武ではなく実戦でこれだけ見事な投げを放った選手を見たことがなく、この技についてお尋ねしたところ、手をとって教えていただいたのは、うれしかった。


そうそう、天骨さんは添野先生に、午後2時くらいに到着と伝えていたらしい。


着いたのが5時くらいだったから、つまり3時間の大遅刻なのであった(大汗)!


ほんと、すみませんでした。そしてありがとうございました。



取材が終わり、ホテルを向かう。


ところがそのホテルがなかなか見つからない。


伊東といところは保養地だけあって田舎で、地図をみてもホテルのある目印がないので、よくわからないのだ。


「なんて俺、ナビつけなかったんだろ〜」


という天骨さんと必死に探す回っていると、そのホテルは別荘地の中にポツンとあった。


荷物をおいて、飲みに出ようとすると、近くに飲み屋はないという、ホテルの人に聞いて、徒歩20分ほどあるいて、和食屋さんで酒を飲む。

と、そのときも天骨さんがビデオを回しだし、「どうでした〜、きょうは?」などと聞いてくる。

このDVDは旅のDVDなのであろうか? とりあえず、彦麿っぽく料理をレポート。

コンビニで酒を買ってきて、ホテルで飲もうってことになったのだけど、歩ける距離にコンビニはないという。

伊東を甘くみてたな。

仕方なくタクシーを呼んでコンビニに寄ってもらって一泊。

翌日は熱海に寄って、『熱海秘宝館』なるものを観てきた。



正直、1700円の入場料はちとお高い。


そして我々は東京へと戻ってきたのでありました。


いやいや、なかなか楽しい旅でした。添野先生、天骨さん、重ねてありがとうございました。
 


巨椋修(おぐらおさむ)拝


巨椋修(おぐらおさむ)は陽明門護身拳法という護身術&総合格闘技の師範をやっています。

 ちなみに陽明門護身拳法のHPはコチラ。門下生募集中!
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