巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

ケンカの話し

むかし習ったことのある格闘技の先生がこんなことをいっていた。

「若い頃は、ケンカでよく人の腕を折ったものだ」

終戦直後の荒れた時代に、若い頃を過ごし、また、“それなりの世界”にもいた人だから、本当のことだと思う。


武道や格闘技は、人を殺したり傷つけたりする技術を研鑽することでもあるから、暴力沙汰になったとき、その技術を使うのは、当たり前だとも思う。


ぼくも同じです。


問題は“加減”であろうなあ。

腕力を使わずに、それがすめば、それにこしたことがないが、大人の男同士が本気になって攻撃をしあえば、腕や足を折るくらいですめば、むしろ平和的な解決であるのかもしれない。


大人の男同士が、暴力を使って戦うとき、よほど信頼できるか、仲の良い者同士でなければ

素手素手、一対一で決着」

などと、スポーティな戦いにはならないであろうよ。

よって、腕力を使ったケンカは、仲良しこよし同士でないとやってはいけないのです。

知らない人をやるときは、刑務所に入れられるくらいの覚悟でやるべきであろうよ。


ぼく自身がいうのもなんであろうが、正直、格闘技をやって予想以上に強くなってしまったという自覚は、ある。

でも

それでも、素人にケンカで勝つ自信なんてゼンゼンないのであるよ。


つまり、素人とケンカになって、最初から“加減”をするなんていうことなど、とてもできないであろうと思うのだよ。


でも、相手が殴りかかってくれば、殴られているような大物でもなく、当然、そういう状況になれば、最初からフルスロットルでやらざるをえなく……


せいぜい、相手の腕や足の骨を折る程度の妥協点を見出すくらいのものでしかないのであるよ。

でも、そんな器用な真似は難しいので、ケンカはしたくないなあと日々思っていたりするのです。


というより、ぼくはケンカはしない宣言を、いまここにしておく。


だってケンカって面倒くさいじゃない。

くだらないし。


だからぼくは、よほどの緊急時か、どうしても我が身を守るか、他人様を守るため以外にはケンカはしない。


そして、ホントにしたくないと思っている昨今でございます。


巨椋修(おぐらおさむ)拝