魚津駅から富山駅まで電車の中だけで20分くらいであっただろうか。
それほど遠くない。
富山では『富山短編映画際・プレイベント』でトークをする経済学者の飯田康之氏と、映画史研究家の春日太一氏のご両名と、プレイベント会場の『富山まちなか研究室』で待ち合わせをしている。
とにかくタクシーでプレイベント会場に乗り付けると、なんとご両名はすでに会場入りしているではないか!
それも超美しい女性とお話しなどしているでわないか!!
ゆ……、ゆるせん!!
と、ご両名と美女との間に割ってはいると、オレはセクスィー部長も裸足で逃げ出すであろう優雅さで名刺を渡したものであった。
相手の美女も名刺をくださる。
その名刺を見ると、なんとN●Kの女子アナの方であった。
なんと、オレが到着する直前までN●Kで、明日の『富山短編映画際』のことをテレビで生放送していてくれていたらしい!
ありがたいことである。
(ちなみに東京に戻ってきてメールを開いてみると、彼女からメールが来ていて、映画祭本番にも観に来てくださっていたらしい。ありがたいことである。あ、まだ返信だしてなかった!(汗))
オレは会場で準備作業をしてくれている富山大学映画研究会の皆様にご挨拶をし、地元の方に紹介してもらった居酒屋に足を運んだのであった。
もちろん、富山のおいしい魚と地酒を飲むためである。
我々は飯田氏、春日氏とともに居酒屋の片隅に陣取ると、さっそく刺身の盛り合わせを頼んだ。
これが超絶に美味いのだ!
特に季節ものの寒ブリは絶品であった!
富山湾特産の白エビは最高であった!
オレは思わず涙を浮かべながらいった!
「あ〜、死んだ母ちゃんに一口食べさせてやりたかったなあ……」
(失礼しました。母はまだ存命です)
しばらくワイワイやっていると、そこに精神科医の明橋大二先生もやってくる。
明橋先生は、子育て本で有名な人で、その著作は累計400万部も売れている超人気作家でもあるのだ!
明橋先生とは10年近く前に、オレが書いた『不登校の真実』という書籍で取材を受けていただいたのが最初である。
当時、富山の片田舎に住む精神科医であった明橋先生は無名で、もっとも早くメディアに取り上げたのはオレ様であるということを理由に、オレ様は明橋先生に結構イバッテいるのであった。
と……、書きながら、思えばこの4人が富山で会っているというのは妙な風景でもある。
飯田泰之氏はウキペディアによると
飯田 泰之(いいだ やすゆき、1975年 - )は東京都出身の経済学者、エコノミスト、駒澤大学准教授。
株式会社シノドスマネジング・ディレクター。
財務省財務総合政策研究所客員研究員。
内閣府・参議院の研究員を歴任。
専門は経済政策・マクロ経済学。
と、なにやら超すごい肩書きの人である。
春日太一氏は
春日太一 かすがたいち (映画)
テレビドラマ研究家。1977年東京都出身。
日本大学大学院博士後期課程修了(芸術学博士)
テーマは「一九七〇年代の京都撮影所における時代劇製作の諸相」
専門は時代劇。失われつつある撮影所文化を後世に残すべく、当事者たちへの聞き書きをライフワークにしている。
著書
「天才 勝新太郎」
「時代劇は死なず!―京都太秦の「職人」たち」
であり、また超大物俳優のブレーンであったりする人である。
明橋大二氏は
明橋 大二(あけはし だいじ、1959年(昭和34年)-) は、大阪府出身の精神科医。大阪府立北野高等学校、京都大学医学部卒業。
名古屋大学医学部付属病院などを経て、現在真生会富山病院心療内科部長。
専門は精神病理学、児童思春期精神医療。
NPO法人子どもの権利支援センターぱれっと理事長。
子どもの権利条約フォーラム2009実行委員長。
であり、前述したように累計400万部の著作を書いたベストセラー作家なのである。
どう考えても、オレが一番売れてないのだが、まあそんなことはよろしい。
ともあれ、こんな4人が富山の居酒屋で、わいわいがやがやと、ばか話しをしているというのは、それだけでおもしろい風景であろう。
我々の富山ナイトはまだまだ続くのであった。
(続く)