巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

人は死の世界を彷徨するためにSEXをする  


人は、生殖活動のみのためのみにSEXをするにあらず。


人は、快楽を追及するためのみにSEXをするにあらず。


人は、死の世界を彷徨(さまよう)ためにSEXをするのだ。


その証拠に、絶頂感に達したときに人はいうではないか。



「死ぬ、死ぬ」



と、



あるいは



「イク」



と、



「イク」とは、「逝く」である。文字通り、一瞬だけあの世に逝くのである。



この表現は日本語だけのものではない。



ドイツ語の「オルガスムス」という言葉の意味は、「一瞬の死」「小さな死」という意味なのである。



同様の意味の「エクスタシー」はどうか?


辞書によるとこうある。



〔原義は、魂が自分の境地の外に出る意〕


(1)気持ちがよくてわれを忘れてしまう状態。恍惚(こうこつ)。忘我。法悦。
「―に達する」


(2)〔哲・宗〕 神と合一した神秘的境地。奪魂。法悦。フィロンプロティノスエックハルトなどの神秘主義思想で重要な概念。エクスタシス。




そう、エクスタシーも、魂が自分から出る=死を意味する言葉なのだ。


そして、SEXという儀式において、女は神への生贄、男は神に生贄をささげる神官の役目を担う。


よって、男は女をなんとしても“一瞬殺さなければならない”のだ。


もちろん、女を逝かせるという意味においてである。


よってここに、自分ひとり腰を振って勝手に逝ってしまう男は、神官としての役割を果たさず、女から軽蔑されてしまうことになる。


男はそうなりなくないから、いろいろな体位を試してみたり、へんなおもちゃを使用してでも、女を昇天させようと涙ぶましい努力をするのである。


もちろん、男女の立場が入れ替わることもある。


相手を死の世界に彷徨わせる役目を負った人は、そのために相当な努力をする。


別に生殖が目的ではないから、男同士であろうと、生殖以外の(例えば、ロウソクを垂らすとか鞭を使うとか、お尻の穴を使用するとか)方法を、使うことも多い。


いな、むしろ、そういった生殖から離れた行為の方が、より神や死の世界に近づけるのだ。


なぜならば、性行為は、非日常的行為であり、公衆の面前ではなく、隠れてやる行為である。


しかしこれが、人々に認められた夫婦間における、生殖のための性行為だとすると、まだ“死の世界”からは少し遠い。


性行為の中でも、生殖活動に関係がなかったり、不倫、ルール違反、タブーに近いものは、より興奮を呼び、“エクスタシー”への導いてくれてしまうのである。



これらの行為は、1人でやるオナニーでは、いまひとつ機能しにくい。


それぞれに役割があるからで、生贄と神官が、心身ともに合一したときに、死の世界を彷徨うことができるからだ。



これらのことを考えると、まったく、人という生き物は、実に因果な生き物であるといえようなあ。


(外道密教巨椋流 秘伝書より)


なんちゃって。