巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

教育とは他者支配と管理である

ある新聞より引用。

 同調査によれば、中学生以下の子供が携帯電話を持つことに関しては、「反対」が10%、「どちらかといえば反対」が32%と、「賛成」が21%、「どちらかといえば賛成」が19%と、「反対」が42%で、「賛成」の40%をやや上回った。平成18年10月に実施した同様の調査では、賛成が5割を超えていたが、今回は若干減少している。


(中略)


 中学生以下の子供に携帯電話を持たせる一番の理由は、「防犯上の問題から」が33%、「連絡を取るため」が30%となり、親が携帯電話を通じて子供の行動を把握したいという思いが強いことがうかがえた。そのほか12%が「子供の友人たちが持っているから」、4%が「せがまれたから」と回答している。

この調査によると、子どもの携帯に関しては、子ども本人より親が持たせたいらしい。



子育てというのは、素っ気ない言い方をすれば、ペットや家畜を飼うことに酷似しています。


子どもを囲い込み=家畜を囲いに閉じ込め


教育し=調教し


良い子に育てる=人間に都合よく飼育する


と、表現できます。


人間と他の動物との大きな違いに、これは動物学者もあまり注目しないことなんですが【かなり過剰な教育癖】というものがあります。


教育とは何か?


「教育とは他者を、支配・管理しやすいようにしつけることである」


これがもっとも顕著に現れるのが、子どもでね。



幼稚園児などは、入園したばかりのときは、整列なんかまるでできないのに、卒園する頃には、足並み揃えて行進ができるようにまで調教される。(笑)


前述の、子どもの携帯電話も

【防犯上の問題から」が33%、「連絡を取るため」が30%となり、親が携帯電話を通じて子供の行動を把握したいという思いが……】

と、あるように、親の支配・管理という欲求が出ています。

まるで、これは社会的にみて【良いこと】で、そのうち子どもに携帯を持たせない親は、子どもの管理責任を問われるようになるかも知れませんね。


子どもとしたら、うざってぇだろうなあ。(苦笑)


巨椋修(おぐらおさむ)拝