巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

天皇おそるべし!


 東日本大震災の5日後、天皇陛下のビデオレターが国民に対して発表された。被災者を思いやってのビデオレターである。

 このビデオレターに対して喜ぶ日本国民もいれば、天皇嫌いの国民の中にはネット等でののしる国民もいた。

 しかし全体的には、このビデオレターで多くの日本国民は少し安心したのではないだろうか。


 天皇について普段あまり意識していない人は「そうでもない」と思う方もいるだろう。

 しかし、多くの日本人に次のように問えが、多少答えが違ってくるかも知れない。



 このビデオレターがなく「天皇家がみんなで京都に疎開した」というニュースが流れればどうであろうか?


 あるいは「天皇家が、しばらく日本を離れ外遊をすることになった」というニュースが流れたらどうであろうか?




天皇嫌いの人でも、かなり多くの人がパニックを起こしてしまうのではないだろうか?

 多くの人がいまよりもはるかに不安になっているのではないだろうか?


 東日本から避難しようとする人、日本から海外に逃れようとする人が、いまよりはるかに多くいたのではないだろうか?


 おそらく多くの人は不安になったと思われる。それは天皇嫌いの人たちも同じであろう。



 なぜか?

 日本人にとって、天皇は神にも等しい人だからである。


 天皇による直接支配は、平安時代に終わっているが天皇は独特の力を持ったまま滅びることはなく、江戸時代末期には【尊王天皇を尊ぶという意味)】のスローガンのもとに徳川幕府が崩壊してしまったほどである。


 それだけではない。そのときに天皇の力がどれくらい凄いものであったかを知るには「廃藩置県」のことを思い出してみればよい。

廃藩置県」とは何か?

 これまであった藩を廃して、代わりに県というものを置くこと。

江戸時代は徳川将軍が日本列島を直接支配していたわけではない。

カタチとしては天皇から将軍という全国にある3百諸侯の代表として任命されているということになっているのです。

そしてそれぞれの藩が一個の国であったわけです。だから徳川幕府大政奉還、つまり日本の政治権を天皇にお返しするといって、将軍職つまり武家の代表を降りた場合、それぞれの藩は独立国家として自分の領土を独立することを選択してもおかしくはなかった。

ちょうどソ連が崩壊した後に東欧の国々が独立国家となったように!
ところが日本において、ソ連崩壊の後の東欧諸国のように独立戦争は起こらなかった。

なぜか?

単純に、実に単純に天皇が【勅令】を出したから。

【勅令】とは天皇からのご命令のこと。

 たったこれだけでそれまで自分の領土に君臨していた3百人近くいた藩主たちは独立戦争を起こすこともなく自分たちの領土を天皇にお返しした。

 こんなことはヨーロッパにおけるローマ教皇の権威をもってしても考えられないことです。

 明治時代になると、日本を西洋化させようとした明治新政府は、明治天皇を西洋における【キリスト教的な神】と位置付けした。

 そして明治になって中央集権国家がはじめて日本にできて、はじめて日本に国民というものが生まれた。


 そして第二次大戦後、天皇は「生き神」ではなく「象徴」としていまも在る。

 天皇には基本的人権は認められていない。

選挙権もなければ納税の義務もない。

職業選択の自由もない。

 
つまり天皇はいまでも「生き神」として、実質的にみられているのである。


 また、そんな天皇であるから、次は被災地に実際にお見舞いにご訪問していただきたいと思っている。



天皇は日本の「象徴」であり、決して「傷つけず・傷つかない」という「生き神」でもあるわけだから、それが次代天皇である、皇太子殿下であったとしても、もし被災地に現れたら、その土地は安全であるという証明になるからである。


 そうすれば、国民の安心感は、ビデオレターの比ではなく、また総理大臣が現地にいって、現地の野菜を食べるよりもはるかに効果があるはずだ。

そしてもし側近の人や、その他国民が


「そんな危険なことはしてはいけません」


と、進言するならば、やはりその土地は危険という証明にもあるのである。


 文字通り「天皇おそるべし!」である。