どうしようもない人が、歴史に名を残していないかといえば、そうでもないんですよ。
でも成功していない人から探そうとすると、どうしても歴史に汚名を残すような人たちが、多くなってきますね。
それには、理由があって、
成功した人の場合、どんなに「どうしようもない」ことをやっていたとしても、最終的にすべて美談に、書き換えられる!
からなんです。
アインシュタインや、エジソン、石原慎太郎が不登校であったり、坂本龍馬が落ちこぼれであったり
遠山金四郎が、ヤクザと付き合いがあっても、美談になっちゃうようなもんですね。
ゴッホの狂気は、“天才ゆえの苦悩”なんて言われちゃう。
だからどうしても、「どうしようもない人」で歴史に名を残した人で成功していない場合、マイナスのスポットが当たることが多いんです。
例えば、戦争中の岡山に、1人のどうしようもない青年がいて、何をやってもダメで、ヤケになって村人を30人殺した「津山30人殺し」とか
(この事件は、横溝正史の『八つ墓村』のモデルになっています)
江戸時代にも『八百屋お七』なんて、どうしようもない娘がいたんです。
まだ16歳の少女なんですけど、お七は、江戸三大火事のひとつに巻き込まれて、あるお寺に避難するんですね。
そこである美少年に会う。
その後、お七は、
「もう一回大火事が起これば、カレシに会えるかも〜」
なんつって、自宅に放火します。
前の大火事では、おそらく数万人の人が焼死していたと思われます。
いくつもの、焼死体や、苦しんでいる人たち。
焼け野原で、子を探す母、母を探す火災孤児もいたと思います。
当然、お七もその姿を見たと思うのですが
でもどうしようもないバカ娘のお七には、そんな他人の痛みはわかりません。
もし少しでも、わかっていたら放火なんか絶対しなかったはずです。
その時代、放火犯は火あぶりの刑。お七のやった放火は、幸いなことにボヤ程度でした。
お七は、まだ16歳。
江戸時代にも少年法みたいなのがあって、15歳以下は減刑されるんですね。
奉行も人の子ですから、なんとかこの娘を死刑から救いたいと思うんです。
で、裁判長である奉行は、何とかお七を15歳未満であるという事にしてしまえと、取り調べのときに
「お七、お前は15歳だな」
って決め付ける。ところが、お七には、奉行の“はからい”がわからない。
いつの時代でも、アーパー女子高生みたいな娘はいるのです。
「アタシはそんな子どもじゃないわ、16歳です! バッカじゃないの?」
って言い張るんです。奉行も
「いや、15歳のはずじゃ」
と、言って何とか死刑から逃がそうとするんですけど、お七は聞かない。
「だって16歳ですもん、生まれたときのお宮参りの記録が残っているから、ちゃんと調べなさいよ!」
とまで言い張る。
ここまで言われたら、奉行とてどうしようもない。
お七は、処刑されてしまったというお話しです。
『八百屋お七』の場合、井原西鶴が小説化したり、歌舞伎になったりして、悲恋の美談になってますけどね。
人の人生というのは、とらえ方や、光りの当て方によって、大きく変わってくるということでしょうね。