巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

小泉八雲『先祖崇拝の思想』 死者は生きている

小泉八雲 『先祖崇拝の思想』より





「日本人は、けっして『ただの記憶になった』祖先というものを考えていない。かれらの死者は、げんに生きているのだから。


かりに、われわれの死者がわれわれの身辺におり、

われわれのすることをなんでも見ており、

われわれの考えることをなんでも知っており、

われわれの口でいう言葉をなんでも聞いており、

われわれに同情をよせてくれ、

あるいは、われわれを怒ったり、助けてくれたり、

われわれから助けをうけるのを喜んだり、

われわれを愛してくれたり、

われわれに愛を求めたりするという絶対の確信が、われわれの心に突如起こるようなことがあったとしたら、

おそらく、われわれの人生観や義務の観念は、きっと大きな変化を生ずるに違いない。

(中略)

ところが極東人の場合は、死者が自分の身のまわりにしじゅういるという考えは、数千年にもわたる長い間の信念なのであって、

かれらは毎日死者に物を言いかけているし、なんとかして死者にしあわせを与えようとつとめている」



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平井呈一訳の、小泉八雲『先祖崇拝の思想』よりの引用でした。


この文章における【われわれ】とは、西洋人のことであり、この文章は、日本人の【先祖供養】や【お墓まいり】【ご先祖様を大切にしよう】といった文化について書かれたものです。


日本人は【死んだ人】を「昔生きていた人」として、記憶の中で大切にするというだけではなく、

死んでいるが、実際に生きている者として、丁重に


しかも、尊敬をもって扱い


ときに会話をし、相談をしたり


死んだ人が苦しまないように、お世話をしたりするということを書いているのです。


つまり、生きている人にとって死んだ人は生きているということです。



これは、日本文化に限らず、どこの民族でも神や悪魔がいるように


どこの民族であろうと、妖精や霊魂があるように


どこの民族であろうと、死者を悼む気持ちがあるということでもありましょう。


そして日本人には、西洋にはない先祖供養の信仰があり、より強くそれが見て取れるということでありましょう。





もうすぐお盆だなあ……