小泉八雲 『先祖崇拝の思想』より
「日本人は、けっして『ただの記憶になった』祖先というものを考えていない。かれらの死者は、げんに生きているのだから。
かりに、われわれの死者がわれわれの身辺におり、
われわれのすることをなんでも見ており、
われわれの考えることをなんでも知っており、
われわれの口でいう言葉をなんでも聞いており、
われわれに同情をよせてくれ、
あるいは、われわれを怒ったり、助けてくれたり、
われわれから助けをうけるのを喜んだり、
われわれを愛してくれたり、
われわれに愛を求めたりするという絶対の確信が、われわれの心に突如起こるようなことがあったとしたら、
おそらく、われわれの人生観や義務の観念は、きっと大きな変化を生ずるに違いない。
(中略)
ところが極東人の場合は、死者が自分の身のまわりにしじゅういるという考えは、数千年にもわたる長い間の信念なのであって、
かれらは毎日死者に物を言いかけているし、なんとかして死者にしあわせを与えようとつとめている」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この文章における【われわれ】とは、西洋人のことであり、この文章は、日本人の【先祖供養】や【お墓まいり】【ご先祖様を大切にしよう】といった文化について書かれたものです。
日本人は【死んだ人】を「昔生きていた人」として、記憶の中で大切にするというだけではなく、
死んでいるが、実際に生きている者として、丁重に
しかも、尊敬をもって扱い
ときに会話をし、相談をしたり
死んだ人が苦しまないように、お世話をしたりするということを書いているのです。
つまり、生きている人にとって死んだ人は生きているということです。
これは、日本文化に限らず、どこの民族でも神や悪魔がいるように
どこの民族であろうと、妖精や霊魂があるように
どこの民族であろうと、死者を悼む気持ちがあるということでもありましょう。
そして日本人には、西洋にはない先祖供養の信仰があり、より強くそれが見て取れるということでありましょう。
もうすぐお盆だなあ……