巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

オカルトという救い




●宗教の極意は盲信である

最近、「オカルトというのは人間にとって救いであるのではないか?」と考えている。


オカルトの意味や解釈は人それぞれであろうが、オカルトというのはある意味宗教の一種であろう。


宗教、もしくは宗教に近いとすれば、オカルトは「救い」だけではなく「破滅」でもあるだろう。



宗教の極意は盲信である。




キリスト教の聖書には「汝、疑うなかれ」といった言葉が出てくる。


また、「神を試してはならない」とも書かれている。


これを素直にその通りにすると、たちまち悪徳宗教指導者や霊感商法の餌食になってしまうだろう。



これ場合は宗教やオカルトを信じてしまったため「破滅」になる。


一方、イスラム教には「インシャ・アッラー」という言葉がある。「神さまの御心のままに」「神さまがお望みなら」という意味だ。



どのような不幸や悲劇が、その人に降りかかっても「神さまの御心なら仕方がない」「神さまの思し召しなのだ」と、解釈することで不幸や悲劇の最中にあっても、耐えることができるというものだ。


そのせいかイスラム教圏では自殺が大変すくないという。イスラム教は自殺を禁止しているからというが、それはキリスト教でも同じである。


しかしイスラム教徒は、他宗教より神さまに不幸を丸投げすることで、信者は自殺という選択ではなく「神さまの思し召し」と生きることができるのであるのかも知れない。


これが宗教による救いのひとつなのだ。



●虐待やイジメを受けた人は幽霊やUFOを見る確率が高くなる


幼少期や少年期に、虐待されたりイジメを受けたり、あるいは何らかの不幸があった場合、その人はやがて、幽霊をみたりUFOをみたりする確率が高くなるそうだ。



また、臨死体験をする確立も高くなるという。




つまり、オカルト体験、超常現象体験をする確立が多くなる。




これは一種の現実逃避とも考えられるが、もしかしたら“オカルト体験をすることによって本人は救われている”のではないだろうか?




地球上、すべての民族で宗教のない民族はひとつもない。



おそらく人類は巨大な脳をもってしまったがゆえに、生きるためにいろいろな不安を持たざるを得なかったのだろう。



その不安を神や悪魔、宗教やオカルトを創造することによって、そして不幸や悲劇を神や悪魔、鬼や幽霊などのせいにして救われてきたのではないだろうか?




巨椋修(おぐらおさむ)拝