巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

29歳の時胃がん宣告を受けたことがあります

29歳の終わり頃、当時漫画家のアシスタントをしていたオレは、仕事仲間と健康診断を受けたことがある。


まあ、半分冗談みたいな企画で、先輩アシスタントの“いきつけの病院”の院長がなかなかの名医と評判で、オレたちもそこでレントゲンやら血液やら尿検査をやって、自分たちの健康を確認し、その後で多いに飲もうというイベントだったわけよ。


つまり誰も自分が不健康であると思ってなかったし、そうとうムチャな毎日を送ってはいたけれど、みんなそれ以上にタフだと思っていたんだね。


健康診断を受けたのは、漫画家の先生と先輩アシスタント、後はオレの3人だった。


血液や尿をとり、バリウムを飲んでレントゲンをとる。


後は、待合室で、結果が出る日がいつかを聞くだけ、とりあえずきょうは、近所の寿司屋でウマイ寿司を」たらふく喰おうをいうことで、待合室の中で、オレたちは盛り上がっていたんだ。


と、そこへ院長がやってきて漫画家の先生一人が呼ばれたのよ。院長の顔がいささか青い。


5分ほど診察室で話していた二人は、そろって出てきた。


ふたりとも顔が青くなっている。


そして二人してオレの前に立ち止まり、こういったんだよね。




「レントゲン写真で見るかぎり、非常に危険な場所に大きな影が写っている。



レントゲンでは、なんとも言えないので、来週の木曜日にもう一度、ここへ来て欲しい。



木曜日は登院は休みなのだけど、ちょうどわたしの知り合いで、胃カメラの得意な医師がいるから、特別にここを開けて、その先生に来てもらいますから、来週胃カメラを呑んでください」




オレとしては「はあ、わかりました」としかいいようもない。頭の中はこれから食べる寿司のことで、一杯だしね。(笑)

で、寿司屋にいったんだけど、なんだか漫画家の先生がふさぎこんでるのよ。

でも、オレにはカンケーねーや、思ってビールを注文すると



「オサム、きょうは酒やめとけ」



寿司屋にきて酒を飲めないというのは、これは銭湯にいって体を洗うなって言っているようなモノですよ。


「なんでよー」と抗議をすると、漫画家の先生は、うつむいたまま、苦しそうに言ったのよ。



「あのな、これは院長先生から本人には言うなって口止めされているんだけどな……どうもレントゲンに写っていた影なんだけど、どうもガンらしいんだよ。大きさからすると相当進行しているらしいんだ…… もし本当にガンだったら、若いだけに命にかかわることらしい……」



しーんと、静まりかえる寿司屋……

先生はさらにこういった。




「すまん……、きょうのところはこれで帰ってくれんか……、なんかお前の顔を見ているとつらくなってくるんだ……、すまん……すまん……」




仕方なく寿司も喰わずに帰るオレ……


漫画家の先生が、ショックを受けるのもムリはない。

院長はレントゲンの名手として有名で、これはガンだなー、進行具合がコレくらいだから、手術でなおるよー、とか、この大きさなら正直いって難しいだろう。などと言う言葉が、ビシビシ当たる人だったらしい。


つまり


その先生が「どうもガンらしい」と宣言したということは、かぎりなくガンに近いということで、命にかかわるということは、かなりの確立で死んじゃうってことなのね。






で、



オレはボロアパートに帰ってから考えた。




オレは29年間生きてきた。


たぶん、相当におもしろい刺激の多い人生だったといえるだろう。


じゃぁ、ま、いーか!





大笑い


29年のバカ騒ぎってワケだ。





本当にガンかどうかもわからないし、どちらにせよ。おもしろいじゃねーか、とりあえず酒でも飲んどくかな。


あ…… でももう少しいろんなおねーさんと仲良くなっときたかったなー





と、本心から思ったものだったなー。


それから一週間後、オレは漫画家の先生と共に、その病院で再検査を受けることになる。


漫画家の先生は、おそらくオグラは死ぬだろうから、入院費と葬式はウチで出そうという相談まで奥さんとしてくれていたようだ。


いかに院長先生の診察が信頼されていたかということだね。オレとしては、そこまで考えてくださってありがたいの一言だね。


そのとき生まれて初めて胃カメラというものを呑んだ。

正直いってもう呑みたくないね。苦しかったよ。(笑)


そして待合室で待つことしばし……


院長が「ほ〜」とためいきをつきながら出てきた。



「幸いなことに、レントゲンに写っていたのは、胃潰瘍を自分で治した痕でした。そうとう大きな傷跡で、大きく盛り上がっています。他にも胃潰瘍を自分で治した傷跡が数カ所ありました。そうとう胃が痛かったのではありませんか? 下血とか自覚症状も相当にひどかったでしょう」



たしかに異常なストレスにサラされていたり、タールのようなうんこがでたこともあったような気がする。


そういうことで、いまもオレは生きているんだけど、あの一週間ほど、“生と死”について考えたことはなかったな。


それと、人は以外とあっさりと自分の命をあきらめることができるんだなあと、思った一週間でした。


その後しばらくして30歳になり激動の、そしてものすごくおもしろい事件が連発する30代をすごすことになるんだけど、そう思うとあのとき死ななくて良かったなーとも思うね。