巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

「現在」の心がが「過去」も「未来」も変える



 時間は『過去→現在→未来』と流れているとほとんどの人は思っている。


 しかし考え方を変えれば『未来→現在→過去』と流れているともいえるのだ。


 どういうことかというと、多くの人は「過去があるから現在がある」と思っている。


 具体的にいうと「いま、わたしが幸せなのは過去に努力したからだ」とか「いま、わたしが成功したのは、過去にいまの道を選んだからだ」と思っている。


 または「いま、わたしが不幸なのは過去に努力したが無駄な努力をしたからだ」


「いま、わたしが失敗したのは、過去にいまの道を選んだからだ」


「過去ずいぶんと努力もせずいい加減なことをやっていたけど、いま私が幸せで成功しているのは、逆に努力もせずいい加減に生きてきたのが良かったんだ」と思っている人もいるかも知れない。


 つまり『いま』の環境次第で、過去の解釈が違っているわけ。


 基本的に『いま成功していると思っている人は、過去にしたことが成功したと思っている人』『現在失敗していると思っている人は、過去にしたことが失敗していると思っている人』がほとんどということだ。


 その考え方はおそらく正しい。


 しかしこうも考えられないだろうか?




 いまの環境が過去の解釈を変えている。




 と、いえそうです。


 ちなみに『過去』とはもうこの世のどこにも存在しないもの。


 もしあるとすれば、その人それぞれの記憶の中にあるだけ。


 と、すればだ。


 

 現在、たとえ失敗中であっても、つらい環境の中にいても、いまはまだ最悪ではない。だってまだ俺は生きている。これは過去の判断のおかげだ!



 と、現代の解釈を変えてしまえば、過去も変わるということだ。


 過去の解釈をかえるのではない。現在の解釈を変えるのだ。


 さらに『未来』への道は、常に『現在』の判断に託されているということを知るべきだ。


 我々には未来はわからない。しかし未来はちょっとしたことで変わる。


 たとえば、朝家を出て、自動車にはねられた人がいたとしよう。その人がもし、ほんの数秒早く家を出るか遅く家を出るかすると、おそらくその人は事故にあうことはなかった。


 未来はそんなささいなことで一変するのだ。


 こう考えると時間は必ずしも『過去→現在→未来』と流れているとは限らない。『未来→現在→過去』と流れているともいえるのだ。


 つまり双方向に流れているといえるのだ。


 と、すればだ。


 過去を変えるのも、未来を変えるのも、『現在』つまりいまの心次第ということになる。


 つまりはいまがすべてなのだ。





巨椋修(おぐらおさむ)拝