巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

「心」とは「魂」のことなのだ


●心はどこにある?


 皆さんには「心」がありますか? おそらく皆さんは「当たり前だろ」というに違いないと思います。


 では「心」なるものはどこにあるのでしょうか? 「脳」という人が多いかも知れません。しかし近年では「腸は第二の脳」と言われ、腸には1億個もの脳細胞があるという人もいます。あるいは「心臓」というように心臓も心の一部分かも知れません。


「心」が脳や腸、心臓にあるとしても、それを取り出して目で見ることはできません。


 仮に心が脳や腸にあるとしても、それは体内に走っている電流に過ぎないという人もいます。



心とは意識であり記憶であり個人的情報である

「心」はどうも記憶から成り立っているようです。記憶とはその人個人の情報であり、また「心」は常に体内や対外からの情報によって揺れ動いているようです。


「心」とは意識のことですが、意識には「顕在意識」と「潜在意識(無意識)」に分けられ、一説によると顕在意識は5%程度であり、潜在意識が95%もあるといいます。



(イラスト:「うつ病からの克服」より引用)


 私たちの行動の多くは、この潜在意識によって決定されているともいいます。


 意識つまり「心」は自分と外界との関係性で成り立っているといえます。


 私たちは物質的な外界と、内的な「心」で成り立っているわけで、物質的なあるモノ、例えば茶碗とコップがあるとして「これは茶碗であり、これはコップである」と、意識することで二つの物質的なモノを区別しています。


 茶碗とコップの区別がない文化では「これは茶碗であり、これはコップである」と区別はできないことでしょう。


 これはどういうことかというと、私たちは「心」や「意識」というものを通して、すべての物事や外の世界を理解しているということです。


 すべての物事や外の世界はその人の「心」を通して判断するわけですから、70億人の人がいれば70億通りの「心」という色眼鏡を通してすべての物事や外の世界を判断しているわけです。


 70億人がいれば、70億通りの世界があり、宇宙があるということです。


 もっと言ってしまえばこの世界や宇宙でさえ、あなたの「心」がなければ、あなたには世界も宇宙もないということです。


 もし死ぬことで「心」が消失するとしたら、あなたには世界も宇宙も消失するということでもあります。



●心とは魂である 

 もし死んでも「心」や「意識」があるとしたら・・・ それが「霊」とか「魂」のことでありましょう。


 私の理解が正しければ、「霊」とか「魂」に肉体は必要ではないはずですから。


 逆の意味でいえば「心」を失ってしまったゾンビは、「霊」や「魂」が抜けてしまったものなのでありましょう。



 私は以前から霊を視える人が、なぜ着物を来た人の霊を視るのかが不思議でした。だって霊は服いらないはずでしょ(笑)。


 でも私たちは「心」を通して世界を見ているとしたら、それは理解できます。人は「心」で霊に服を着せているのですから。


 私たちは「心」を通して外の世界を見ているわけですから、同じ物を見ても全員がその物を同じ解釈をしてみているわけではありません。「心」の解釈により、おそらく別の物を見ているのです。「心」って面白いですね。



巨椋修(おぐらおさむ)拝