巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

農耕が差別・格差・戦争、そして文明を作った

●なぜ人類は19万年も農業をやらなかったのか?



(『はじめ人間ギャートルズ』より)


 ホモ・サピエンスが誕生して約20万年だといいます。


 20万年前人類は、現代の我々と同じ大きさの脳をもっていました。つまりは現代人と同じ知能を持っていたというわけです。


 しかしヒトが農耕をはじめたのは1万年前。それまでの19万年は狩猟採集生活、つまり原始人の生活をしていたのです。


 なぜだと思います?


 それは“狩猟採集生活のほうが農耕より楽”だからです。


 現在アフリかに住む狩猟採集民は、どういう生活をしているかというと、女性が担当した果実やイモなどの採集は、1日1〜3時間程度も行えば、食べ物が足り、男は狩りに行くのですが、1週間狩りをすれば2〜3週間
遊んで暮らすといいます。


 これは1万年以上前の石器時代も同じ。日本の縄文人などもそう。農耕を始める前のヒトはとても豊かだったといいます。


 人類は生れて19万年も農耕をやらなかったのかは、狩猟採集生活のほうが楽で豊かであったからです。



●農耕を始めたのは氷河期と人口問題

 ではなぜヒトは楽で豊かな狩猟採集生活をやめて農耕をはじめたかというと、まず氷期がきたということ。


 いまから7万4千年前、人類はまだアフリカ大陸にしか住んでいなかった。そんなときアフリカから7000キロメートル以上離れたインドネシアの火山が爆発。地球史上まれに見る大爆発で、火山灰が地球を覆い地球の気温が12度も下がったといいます。


 そのため食料不足で、人類のほとんどが亡くなってしまいました。そのとき生き残ったのが数千人〜1万人程度。まさに絶滅寸前までいったのです。


 そこで人類は生まれ故郷であるアフリカを離れる人たちが出てきます。そしてさらに氷期がきます。人々は食べ物を求め、旅を続けます たった5万年で南極大陸以外のすべての大陸にまで人類は住み家を広げたのです。


 氷期が終わりだしたとき、世界的に人口が増えだします。その数およそ400万人から700万人。いまの70億人からくらべるととても少ない世界人口ですが、狩猟採集生活で豊かに暮らすにはこの人口が限界だったようです。


 このとき生きていくために“仕方なく”ヒトは農耕をはじめたらしいのです。


 農耕がはじまったのは中東あたり。いまとちがって大変肥沃な土地でした。



●農耕が戦争・格差・文明を生んだ

 狩猟採集生活では定住せず、食料を求めて定住はしませんでした。農耕や牧畜がはじまると、畑があるため当然定住生活になります。(牧畜もほぼ同時期にはじまったといわれている)


 せっかく植えた食べ物を、どこかから誰かがフラリと現れて食べられたらたまったものではありません。


 またヒトは群れで行動します。農耕で定住した場所が村となり、隣り村とは土地争い、水争いがはじまります。狩猟採集時代は、食べ物を求めての移動生活でしたから、どこかで知らない部族と出会うことも少なく、出会ってもスル―したり、ちょっとした物々交換で争いになることは少なかったのですが、農業をはじめるようになってから、殺人や村と村との争い、一種の戦争も頻繁に起こるようになりました。


 農業はほぼ毎日働かないと、作物を得ることが難しいため、みんな額に汗して働くようになりました。そして働けない者、畑をあまり持っていない者は食料を得る量が減り、貧富の格差が出てきました。


 狩猟採集のときは働けない者や狩りに行かない者でも平等に食料が分けられていたのに、農業を始めたために戦争や格差が生まれたのです。


 なぜ狩猟採集生活だと食料が平等に分けられるかというと、前述したように狩猟採集生活は豊かでしたが、ときに災害があったりして食べ物が取れない時もあります。そんなときのためにすべての人に、平等に食料を分け与えるのです。


 最初の農作物となったのはムギと言われています。ムギはお金の代わりになりました


 そして村はやがて国家になり、国家間の戦争が起こるようになります。国家となると税として、最初の農耕植物であるムギを集めるようになります。やがて自らは働かないでムギを独占する王など支配者が生まれ、数多くの農業以外の職業が生まれ、商業が起り文明が生まれるようになります。


 ヒトが農耕を知って1万年。文明ができてわずか5000年。産業革命から250年。人類はいまも繁殖し続けています。人類はこのつぎどこへ行くんでしょうか?



 おそらく地球という星が人を食べさせてくれる量も、限界に来ているように思えます。私たちはもしかしたら狩猟採集生活のまま、農業や商業を知らずに過ごしていたほうが幸せだったのかも知れませんね。





巨椋修(おぐらおさむ)拝