巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

超常現象は弱者救済のシステムである


ちょうど95年にオウム真理教平田信が、自宅を爆破した宗教学者島田裕己の著書を読んでいたとき、平田信が出頭してきたので、いささか驚いた。


オウム真理教が注目を集めていた時代、それは平成という時代に入ったときなのだが、日本においても世界においても大変動の時代であった。


日本ではバブルが崩壊。世界ではソ連の崩壊の時代である。


かつてないバブル景気の時代であったにもかかわらず、若者たちは政治にも未来にも期待せず、世紀末に何となく不安を覚えていた時代でもある。


その萌芽は70年代にすでに出てきており、「ノストラダムスの大予言」や「ユリ・ゲラー」の超能力ブーム。漫画「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」といったつのだじろうの心霊漫画が子どもたちの心を掴んだ。


80年〜90年代になると、フリーターという言葉が生まれ、若者たちは「自分探し」をはじめるようになり、「自己啓発セミナー」が流行るようになる。

そして、宗教界ではオウム真理教や、幸福の科学統一教会が社会的問題となり、「マインド・コントロール」などという言葉がマスコミを騒がすことになる。


新しい宗教や、超常現象といったものに惹かれる人の多くが、ちょっと自分に自信がない人たちや、「自分とは何か?」「生きるとは何か?」と迷い悩む思春期や青年期の人たちだ。

そういった人たちは、宗教に入ることで「不安」から逃れようとしたり、あるいは「超能力」を身につけることによって、自分を「特別な存在」にしようとした。


オウム真理教の幹部となったのは、少年時代に70年代の超能力ブームや心霊ブームに強く影響を受けた人たちである。

オウム真理教に入信した中には「超常能力を身につけるため」に入信したという人が少なくない。

あるいは80〜90年代にやはりブームとなったサイババの売りもまた「超能力」であった。

この年代には、格闘技の世界で「気で相手を飛ばす」といった武道が人気となる。

厳しい肉体鍛錬や、肉体コンプレックスの強い人が、「らくして強くなりたくて」そういった道場の門を叩くという場合も少なくなかった。


つまり……


昔から「超常現象」というものは、「弱者の救済システム」として存在しているのだ。

あるいは「自己逃避の装置」として存在しているといってもいい。

「いじめられっ子」が「いじめっ子」を超常能力を使ってやっつけることを夢想するようなものだ。

大昔なら、容姿に自信がなく気も弱い女性が、恋敵をおとしめるために「丑の刻参り」をして、藁人形に5寸釘を打ち込むことによって、怨みを晴らした気になるようなものでもある。

たとえ、まったく別の理由で恋敵が風邪を引いたり怪我をしたら、それは「自分の丑の刻参りの霊験だ」ということになる。

これが宗教なら、神仏にすがることによって、不条理な人生の改善や開運を願うことになる。

少し前に流行っていた「スピリチュアル」もまた、それらの「弱者救済システム」のひとつであろう。

いつの世になっても、こういったものは無くならない。

どんなに強い人間でも明日のことはわからない。

どんな人間でも実は不安で一杯なのだ。

だから宗教や超常現象、占い、スピリチュアルといったものにすがるようになる。

もちろん、それは悪いことではない。

そういったものがないと不安で仕方がないのが人間なのだ。

ただ、こういった宗教だの超常現象だのが、テロとか犯罪とかと無縁であって欲しい。

と、祈るばかりだ。


巨椋修