巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

ぼくのSM理論


昨夜は、某コミック雑誌の某編集長と打ち合わせ。


打ち合わせの後は街に飲みに。


そのとき話題はなぜかSMに。(笑)


巨椋「ぼくの考えでは人間はすべからく元々Mだと思うんです」

編集長「なぜでしょうか?」

巨椋「人間が生まれたとき、母親から全部めんどうみてもらってるじゃないですか。赤ちゃんって究極のMだと思うんですよ。Mの人ってSの人に「イヤダイヤダ」とかいってひたすら母親にサービスを求めていると思うんです」

編集長「サービスのS、満足のM理論ですね」

巨椋「そして子どもは母親に叱られたり褒められたりして育つ。ちょうとMの人が女王さまに、叱られたり褒められたりして満足するみたいに。女王さまもMに対して『悪い子だねえ』とか『よ〜し、いい子だねえ』なんていってMを満足させる」

編集長「一般的にSっていうのは、嫌がるMを無理やりっていうイメージがありますが」

巨椋「プレイとしてのSMにおいて、Sは相手が本当に嫌がっていることはしないと思うんです。Sが攻めているようでMの望むことをしているんじゃないかなと」

編集長「なるほど」



なんて話しをしておりました。

巨椋のSM理論によると、Sは奉仕者、Mは要求者ということになって、一般的なSとかMのイメージとは違ってくるわけですが、ぼくは何となくそうなのではないかなあと思っているわけです。


たとえば男女の性行為においても、男性が攻め手で女性が受け手という感じですが、実は男性というのは女性に「満足して欲しくて」涙ぐましい努力をする。

女性は「ダメ〜」なんていいながら自分が昇天することを要求する。

つまり、もし男性が一方的に自分の欲望、つまり射精のみを求めているだけだとすると、その男性はひどく幼稚、赤ちゃん並みということでもある。

そしてサービス業のトップである会社経営者や政治家に、Mが多いという話しや、赤ちゃんプレイを好む人が多いというのは、普段のサービスに疲れ果てて、赤ちゃん帰りをしているためではないだろうか?

と、思うのです。


巨椋修(おぐらおさむ)拝