昨夜は、某コミック雑誌の某編集長と打ち合わせ。
打ち合わせの後は街に飲みに。
そのとき話題はなぜかSMに。(笑)
巨椋「ぼくの考えでは人間はすべからく元々Mだと思うんです」
編集長「なぜでしょうか?」
巨椋「人間が生まれたとき、母親から全部めんどうみてもらってるじゃないですか。赤ちゃんって究極のMだと思うんですよ。Mの人ってSの人に「イヤダイヤダ」とかいってひたすら母親にサービスを求めていると思うんです」
編集長「サービスのS、満足のM理論ですね」
巨椋「そして子どもは母親に叱られたり褒められたりして育つ。ちょうとMの人が女王さまに、叱られたり褒められたりして満足するみたいに。女王さまもMに対して『悪い子だねえ』とか『よ〜し、いい子だねえ』なんていってMを満足させる」
編集長「一般的にSっていうのは、嫌がるMを無理やりっていうイメージがありますが」
巨椋「プレイとしてのSMにおいて、Sは相手が本当に嫌がっていることはしないと思うんです。Sが攻めているようでMの望むことをしているんじゃないかなと」
編集長「なるほど」
なんて話しをしておりました。
巨椋のSM理論によると、Sは奉仕者、Mは要求者ということになって、一般的なSとかMのイメージとは違ってくるわけですが、ぼくは何となくそうなのではないかなあと思っているわけです。
たとえば男女の性行為においても、男性が攻め手で女性が受け手という感じですが、実は男性というのは女性に「満足して欲しくて」涙ぐましい努力をする。
女性は「ダメ〜」なんていいながら自分が昇天することを要求する。
つまり、もし男性が一方的に自分の欲望、つまり射精のみを求めているだけだとすると、その男性はひどく幼稚、赤ちゃん並みということでもある。
そしてサービス業のトップである会社経営者や政治家に、Mが多いという話しや、赤ちゃんプレイを好む人が多いというのは、普段のサービスに疲れ果てて、赤ちゃん帰りをしているためではないだろうか?
と、思うのです。
巨椋修(おぐらおさむ)拝