「人間は感情の生き物である」という言葉がある。
論理の反対にある言葉として感情や情緒、抽象という言葉がある。
人間はロボットではない。よって感情や情緒というものが、とても大切なものとなる。
これを“将棋”という戦争ゲームに例えるとわかりやすい。
将棋というゲームは、論理によって勝敗が決まる。
将棋は、“感情”や“情緒”などというものを切り捨てて戦いに挑まなければ勝てない。
例えば、『歩』は弱者であるから他の駒が守ってあげないといけないなどと言っている人は、間違いなく負ける!
100%この駒は、取られる(殺される)という場合でも、平然と見殺しにしないと勝てない!
おまけに取られた駒は、即行で敵に寝返る!
すなわち!
将棋とは弱者切り捨ての裏切りゲーム!
最終目標(勝利)のためには、いかなる犠牲も辞さないゲームなのである!!
しかし、である。
将棋の論理をそのまま現実社会や戦争に持ち込むわけにはいかない。
人間には、感情というものがあるのです。
例えばオレ自身、人の顔が写っている写真を踏むことに抵抗がある。
写真は、紙とインクだから人格はない。
そうはわかっていても抵抗がある。
死体を、例えそれがネズミの死体でも足蹴にするのには抵抗がある。
論理的に考えれば、死体はただの物質だから、どうでもいいはずなのです。
論理だけでは、人は動かない。
感情だけでは勝負に負ける。
人は論理と感情のバランスが必要なのです。