『学ぶ』の語源は『まねぶ』、真似をすることなんですな。
そういった意味では子どもの遊びは、教育の基本中の基本といえます。
お母さんや家庭を真似る『ままごと』は、子どもが家庭のあり方を学習しているということなのです。
男の子が好んで『アクション・ヒーローごっご』、『プロレスごっこ』などをやるのは、闘争や逃走の練習をしているのです。
伝統的な子どもの遊びである『かくれんぼ』や、『鬼ごっこ』もまた闘争と逃走のゲームです。
エラソ〜に、「戦争はイケマセン!」とか「最近の若者はキレる!」などといっている大人だって、子どもの頃は『戦争ごっこ』や『チャンバラごっこ』という殺人ゲームに目をキラキラさせていたんですな。
また、子どもは幼児のころからマスターベーションや、『お医者さんごっこ』などをして将来の性行動を学ぶのですよ。
ところが小賢しい知恵のついた大人は、
『戦争ごっこ』はイケマセン!
とか
『お医者さんごっこなんて言語道断!』
だのエラソーなことをぬかしちゃうのですよ。
これがいかに小賢しくもアホらしいかというと、ほとんどのスポーツが『戦争ごっこ』であり、文化芸術のほとんどは性衝動の発露であることからもわかろうというものです。
マラソンしかり、砲丸投げしかり、走り幅跳びしかり、棒高跳びしかり、サッカーしかり、野球しかり……
知的ゲームである所の囲碁・将棋もまた『戦争ゲーム』です。
そしてほとんどの芸術が恋愛を描いているのでですな。
恋愛とは性衝動の一つなんですな!
闘争や逃走、性行動の遊びをあまりやっていなかったり、否定された教育を受けるとどうなるかというと、成長してから人間関係能力に歪みが出てしまうんですな。
闘争と性行動は、人間社会において根幹を成す重要なものなのに、これに歪みがでちゃう。
つまり、奇妙に脅えてしまったり凶悪になったり、異性と付き合ったりできなくなる。
子どもをそうさせないためには充分に遊ばせる。遊びの中にルールがある。言葉にできない人間の距離関係や空気を学ぶことができるのが『ごっこ』遊びなのですよ。
そういった上にやっと、『教養としての教育』があることを多くの人は忘れているんですな。
さて、もうすでに賢明なる読者諸兄はご存知なように、わたしは生真面目な男であり、幼少の頃からいまに至るまであまり遊んでいないのであります。
とりあえず『お医者さんごっこ』から学び始めるとしますか。
ヒュー、ヒュー、そこのおねいさ〜ん!!