きょうはいささか宗教じみた言い回しをする。
と、いっても宗教でもオカルトのことではないので、宗教的なことが苦手な人も安心して読んでいただきたい。
内容は、言葉と精神のことである。
「はじめに言葉(ロゴス)あり、言葉(ロゴス)は神と共にあり」
という聖書の一文を数日前に紹介した。
言葉の持つ力について少し、書く。
日本では古来言葉に力があり、それを『言霊(ことだま)』と呼んだ。
どのような力があるのか?
言葉は人を縛る力がある。
その縛る力こそが、言葉の「定義づけ」である。
犬といわれて猫をイメージする人はいないだろう。いるとすれば、日本語をよくわかっていない人である。
犬という言葉は、人間のイメージを犬と縛るのである。
もし誰かが
「お前に不幸がやってくるであろう!」
と言ったとする。
あなたがその言葉を記憶し、気にしていたとすれば、あなたは
不幸
という言霊に縛られたということになる。
これを呪(しゅ)という。
もし誰かが
「あなたは幸せになりますよ」
と言ったとする。
あなたがその言葉を記憶し、気にしていたとすれば、あなたは
幸せ
という言霊に縛られたということになる。
これを祝(しゅう)という。
これらの言葉を聞いた後、あなたは毎日の日常を普通に暮らすであろう。
普通の生活には、小さな不運と小さな幸運が連続して起こっているものだ。
もし、あなたが不運を気にしていたとしたら、小さな不運に見舞われるたびに、
「ああ、あの人の言った通りだ。わたしは不運なのだ」
と、確信することになるだろう。
この状態を、
「呪いをかけられた」
というのだ。
こうなると、呪いをかけられた人は、不運にばかり意識がいくようになり、石が転げ落ちるように、不運ばかりが目につくようになる。
つまり不幸になる。
逆に、幸運や幸せの言葉である祝(しゅう)、つまり祝いの言葉をかけられ、その言葉を記憶し、気にしている人は、小さな幸運のたびに気持ちが良くなり、幸せという言霊に縛られ、
どんどん幸運を感じることができるようになるであろう。
実は、幸運の人にも不運の人にも、起こっている事象は同じことであったりする。
しかし、呪(しゅ)をかけられるか、祝(しゅう)をかけられるかで、その心理は大きな違いが起こってくる。
やがて呪をかけられた人の顔は暗く狷介になり、より孤独になり不運を呼び寄せる結果になる。
祝をかけられた人の顔は、明るく豊かになり、より人に慕われ幸運を呼び寄せることになる。
実のところ、これはオカルトや宗教ではない。人の心と体はそのように出来ているのです。
では、人から祝(しゅう)ではなく、呪(しゅ)をかけられたときはどうすればいいか?
祓えばいいのです。
祓うといっても、神社にいくことはない。
要は気にとめないこと。
気にとめないことが祓うということとなる。
つまり心の中から呪を祓うのです。
最後に、人に呪・祝をかけるのは他人ばかりではない。
自分で自分にかけることもできる。
自分を幸せにするも、不幸にするも、自分の心次第ということでもありますな。