夏であります。
日本における夏は、なぜだか幽霊やお化けのシーズンであります。
さて、「幽霊は実在するか?」
という問いに対して、わたし巨椋修(おぐらおさむ)は迷わず、そして確信を持って
「見えたり感じたりする人には実在する」
と答えます。
世の中には、「目に見えないものは……」という人もおりますが、目に見えなくても、実在するものはたくさんあります。
電気、風、放射能などなど。
しかし、これらは目に見えなくても、物理的に証明できます。
幽霊は物理的に証明はできません。
しかし、わたしは「見えたり感じたりする人には実在する」と確信している。
なぜか?
思念の中に実在していると考えているのです。
つまりは思念の中に実在していない人には実在しない。
あるいは思念の中に存在はするが実在はしない。
「な〜んだ」
と、思うなかれ。
わたしが、このように考えるようになったのは、幻聴・幻覚を見る人のことを考えるようになったからなのです。
わたしたち健常者には、幻覚も幻聴も見えませんが、精神病や薬物依存症の人たちには
【確・実・に・実・在・す・る!】
わたしたちには、見えなくて、実在しなくても、その人たちの脳内には
【確実に見えており、実在している!】
彼らにとって、それは
【幻・覚・で・は・な・く・現・実・な・の・だ!】
彼らの中には、その声やその映像を見て、人を殺すこともあれば、自殺することもある。
恐怖に怯えて動けなくなることもある。
それは物理的には証明できないかも知れませんが、それは彼らの中には居る!
その目物理的には証明できない“何か?”に怯え、自殺までしようとする人たちを、皆さんは笑うことができましょうか?
例えば、わたしなども【空耳】を聞くことがありますが、それは物理学的な、音声ではないかも知れませんが、わたしの耳には、【実際に聞こえている】のです。
「いや、巨椋さんそれは違うよ」
と、言うべからず。
皆さんが言いたいことはわかっております。
また、誰かが自殺した場所などで、何も知らない人が幽霊を観てしまうなんてこともあったりします。
それが錯覚なのか? 実は知らない間に何かの情報が入っていたのかは不明。
まあ、どちらにせよ人は常に【懐疑する心】を忘れてはいけません。
そうじゃないと、簡単な霊感商法やデマ、流言、虚言にダマされてしまうことになります。
汝、懐疑する心を忘れるなかれ!
それでも、わたしは、思念という意味で「幽霊は確実に実在する」と思っております。
どうです?
なんかそのほうが恐ろしくはないですか?
実はね、わたしはさっきから、誰もいないはずの背後から妙な視線を感じてならないんですよ。
だから、いま振り向くのが怖いんです。
あなたは何も感じませんか?
ほら、いまあなたの背後にも……