ときどき思うんだけどさ、多くの人に【美味(おい)しい】ということを大切にしてほしいと思っているんです。
なにが? ってみんな思うかも知れないけれど、【美味しいという感覚】はその人、個人の感覚なんですね。
だから他人が【美味しい】と思ったものが自分にとっても【美味しい】とは限らないっていうことです。
「なにを当たり前なことを」ってこれを読んでいる人、ほぼ全員が思っているだろうけど、これは味覚だけではなく、ぼくたちの日常すべて同じことなんです。
たとえば、マスコミが【美人】といった人が美人とされる……、でも自分はそうは思わないという人がいてもいいってことですよ。
社会の皆さんとか世間さんとかが、【これはすばらしい】というブランドがあって、【でも自分はそうとも思わない】っていうことがあってもいいってことです。
美食についても、一流料理人とマスコミでいわれている人の料理を、有名な美食家が【美味しい】と発表したからといって、それが本当に美味しいかどうかは……
味覚なんて個人的なものですから、有名な美食家が美味しいといおうがどうだろうが、ご本人が美味しいかどうかが、一番大切なことなのですよ。
これは【食】だけじゃなくてね。【仕事】【恋愛】【遊び】【家庭】その他もろもろ全部、似たようなものだと思いますよ。
ちなみに本日、牛鍋屋にいってまいりました。
「牛鍋」っていうからなんか素敵なんだね。これが「すき焼き」っていうと、「すき焼き」のイメージに縛られちゃう。(笑)
内容は同じでも、ちょっとしたとらえ方で、いろいろ違ってくるってことでしょうね。
でも「牛鍋」でも「すき焼き」でも、美味しければ【美味しい】ってことで違いはないし、それでいいんだと思うんですよ。
それと【美味しがる心】みたいなもんがあるともっと、料理も人生もより美味しくなると思うなあ。
だからさ、いろいろとあるだろうけど、【美味しがる心】っていう日々が【美味しい】と思うんだな。