ほんの数日前に、「オカルトという救い」という記事を書いた。
オカルトは宗教の周辺事態である。
うまく活用すれば人は救われる。
しかしただ盲信すれば破滅にいたる場合もある。
たとえば最近裁判が終わったオウム真理教事件。
実行犯は実行犯や教団幹部は驚くほどの高学歴な人たちで
・早稲田大学大学院理工学部卒、宇宙開発事業団に勤めていたことがある人。
・東京大学大学院理学系研究科で物理学専攻修士課程を修めた人。
・京都大学法学部在学中に最年少で司法試験に合格した人。
・東京大学医学部出身の研修医。
・慶応大学医学部出身の医師。
・早稲田大学物理学部修士課程終了の人。
などなど……
これらのエリートの人たちが、または論理を重視する“理系”といわれている人たちが、コロリと自称教祖を盲信し、やがて30名近い人を殺し、6000人以上の被害者を出すという凶悪犯罪を実行してしまっています。
なぜか?
彼らは、自分で考えること。教祖や教義を懐疑することをやめてしまったからとしかいいようがありません。
つい最近も、歯科医が“除霊”と称し女子中学生に、それも父親の見ている前で性的乱暴を繰り返していたという事件がありました。
年に数回はこのような事件が報道され、中には信者を殺してしまうという場合もときどき聞くことがあります。
他にも高額な“浄霊代”や占いの見料で裁判沙汰になることがあったり、多くの霊感商法が後を絶ちません。
これらの事件被害者にならないためには、どんな宗教にせよオカルトにせよ「懐疑する」ことです。
宗教にはは「汝、疑うなかれ」「神を試してはならない」「ただ信じておすがりすればいい」という文言があるものですが、それでもちゃんの冷静になって、疑うことを忘れてはなりません。
ところが中には、宗教やオカルト、スピリチュアルなどに対して「ビリーバー」といって、なんでもかんでも疑わずに信じてしまう人がいたりします。
そういう人は「●●の大予言」「●●の陰謀」「UFOからのお告げ」「霊界からのメッセージ」といったことを鵜呑みにし、何かそういうことがあると、不安になったりする人もいます。
あきらかな手品を超能力と信じきってしまっている人もいます。
信じる信じないはその人の自由ですし、信教の自由も法律で保障されていますが、ちょっとおかしいなと感じたならば、疑ってみるべきです。
科学は、仮説を何度も実験をすることで証明するわけですが、科学で証明されたことも、数年後、数十年後には新しい答えが出てきたりするものです。
まして、科学のように実験を繰り返さないオカルトの場合、充分と疑ってかかったほうがいいのです。
そして人の言葉ではなく、自分の頭脳で充分に考えること。
自分で考えて自分の責任で動くこと。
それだけ疑って納得するのなら、オカルトを信じるなり宗教に信じるなり、それはその人の自由。
聖書にある言葉。「信じる者は救われん」はある意味真実でしょう。
信じることで、心の安らぎを得られるのなら、それで争いや不幸の原因にならないのであれば、それはそれでいいとぼくはそう思います。
巨椋修(おぐらおさむ)拝