縁は異なものと言うじゃないっすか。
本日、打ち合わせのコーディネートをしてくださった方は、15年くらい前に知り合いになった人でありました。
15年くらい前、異端の空手しか知らなかったぼくは、古流空手を学びたくて、ある沖縄少林流系の小さな道場に通っていたことがあるんです。
キッカケは、下北で飲んでいたとき、たまたま知り合った女の子が
「あたし空手やってるの〜、アナタもやんな〜い」
って言うのでフラフラと誘いに乗ってしまったというのはヒミチュです。(笑)
でも古流を学びたかったのはホントです。
決して、決して、女性の色香に惑わされたワケではありません!
たぶん、
きっと、
おそらく……
で、行ってみて後で知ったんですが、道場主が詩人の萩原朔太郎のお孫さんで、作家の萩原朔美さんとおっしゃる方でした。
道場の先輩には、作家の今野敏さんがいましたね。
他に寺山修二系の劇団で『月蝕歌劇団』というのがあるんだけど、その主催者の方もいたりしました。
あと、洋画の字幕翻訳なんかをやっている人とかね。
(少し前にレンタルで観た『タイムマシン』という映画の字幕をその人がやっていたので、ビックリしたなー)
そこに今回コーディネートをしてくれた人もいたわけです。
それから十数年……
ある団体の人がぼくと連絡を取りたいということになったらしく、その団体の機関誌編集長に、たまたま相談したそうなのね。
そしたらその編集長が
「オグラさんならオレ知ってるよー」
ってことでね。
その編集長が、今回のコーディネートしてくれた人だったんですね。
で、十数年ぶりに電話が掛かってきたというわけです。
でも、よくぼくの名前を覚えてくれてたなあ……
まあ素行は悪かったし、どこへ行っても異端者ですから、覚えてくれてたんだと思います。(笑)
その団体の人は、明橋大二という精神科医が書いた本に、ぼくのことが少しだけ書いてあって、それでぼくと連絡を取りたかったらしいの。
いまでこそ明橋先生の著書は、総数で300万部を越えるベストセラーになっているけど、ぼくと知り合った頃は、無名のお医者さんでしてね。
ぼくの映画に出てくれたんですけど、いまみたいに有名だったら、ちょっと出演は頼めなかったなあ。
明橋先生の著書と、十数年前に通った小さな空手道場……
縁というのは、ホント、不思議なもんです。