まず最初に行っておくべきことは『水子供養』が悪いということはないんです。
これは「信仰心」や「心の問題」でもあるわけですから。
さてさて、水子供養。
水子というのは、流産したり中絶した子どものことを言います。
水子供養というのはその霊を供養することです。
さて、この水子供養というのは、江戸時代の後期に出てきた考え方で、決して新しいものではないのですよ。
この水子供養が一般庶民に広まったのは、1970年代から。
70年代から、水子供養をするお寺や新興宗教が激増したんです。
そして80年代に定着した。
激増したのは、いくつかの理由が推測できます。
中絶が増えたこと。(近年では減ってきている)
水子供養という名称が一般人に広まったこと。
水子供養が商売になることなどなど……
これは良いことでも悪いことでもないんです。
ただの“現象”である。
ただね。水子供養の広がりを観ていても、『日本人は無宗教である』ということに疑問を持ってしまうんですよ。
これだけではなく、ぼくは日本が無宗教であるとは思っていないんです。
イザヤ・ベンサダンこと評論家の故山本七平さんの言葉では、「日本人は全員日本教である」といっていますけど、ぼくもそう思います。
日本人には独特の宗教感がある。
しかも、日本人はそれを宗教だと意識していない。
水子供養について観てみても、そんな気がしているのですよ。