巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

肉食とタブー


人が肉を食べるというのは、ライオンやチンパンジーが肉を食べるのと、ちょっと違うのであるよ。

人間には、宗教や民族によって『肉食のタブー』ってモンがあるのだよ。

食のタブーっていうのは、「食べる気もしないおぞましいもの」ってことで、どこの民族でもある。


例えば、日本人ならサルやイヌを食べる気はしないでしょ。
(昔の日本人はサルもイヌも食べてたけどね)


世界的に見ると、イスラム教徒、ユダヤ教徒、一部のキリスト教徒は豚肉を食べない。

ユダヤ人とかは、豚を非常に穢らわしいものを考えていたようで、食べるどころか触ることも見ることさえ嫌悪したりしておりました。


聖書にイエスが、他人の飼っていた豚2000頭を殺すシーンが描かれていますが、イエスや弟子たちは、そのことにまったくといっていいほど、良心の呵責すら感じていない。

本当に殺したのなら、養豚業者の財産を奪う大犯罪だと思うのですが、イエスたちにとって穢れた豚を殺すのは、なんでもないことであったのでしょう。
(他人の飼っている豚でもね)


一方、ヒンズー教徒は牛を食べない。


仏教、ヒンズー教の僧侶や上級のカーストになると肉食を避け、ジャイナ教徒は肉を食べない。


アフリカのある民族は、海辺は川辺に住んでいるにもかかわらず、魚介類を「おぞましいもの」として食べない民族もある。


イスラム教やヒンズー教の肉食タブーは、家畜を飼育するときのコストである程度説明がつきます。

つまり、イスラム教やユダヤ教が生まれた砂漠や荒野は、豚が好む水や森が少なく、豚の餌は人間の食べるものと、ほぼ同じなので豚を育てるのに、あまり向かない。


ヒンズー教の場合、インドの人たちは、牛を神聖な動物としつつ、牛の飼育にほとんどお金をかけない。

その牛の糞を無料の燃料にし、無料のトラクターとして使用しているため、殺して食べるよりも、ギリギリ死ぬまで生かしておいたほうが、オトクである。


また、東洋の宗教には、肉食や屠殺をカゲレと考えるところがあり、肉食を避けたり、屠殺する人を差別したりする風習がある。


江戸時代、日本で動物を解体するのは穢多非人身分だし、韓国の済州島は牧場があり、肉を扱う卑賤民として韓国人から差別を受けている。

日本の在日朝鮮人には、済州島出身の人が多くいるが、これは済州島朝鮮戦争でひどい戦場になったことと、差別のため日本に逃げてきた人が大変多い。


かくのごとく、たかだか肉食ひとつに注目してみても、人間の営みっちゅうのは非常におもしろいものですなあ。



巨椋修(おぐらおさむ)拝