巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

漫画と映画のオチについて


漫画界において、新人漫画家がコンテストなどて

「これをやったら、絶対入賞できない」

というものがあります。

それはストーリーの最後、つまり「オチ」のところで

「夢オチ」

「超能力オチ」

「キチ●イオチ」

をしてはならないといわれているのね。


え〜、簡単に説明すると、
「夢オチ」はどんなに壮大であろうとロマンチックであろうと、「実は夢だったのです」で、落としてしまうと「な〜んだ」ってことになり、漫画家の能力が疑われることになるからです。


「超能力オチ」も同じ。
主人公がピンチになったとき、「実は主人公には、隠れた能力があり、それが最後の最後に花開いて敵を倒したのでした」なんてのは、幼稚の幼稚と判断されるわけです。

ま、ウルトラマンなら
「地球を守る科学特捜隊とか地球防衛軍とかいらないじゃん。ウルトラマンも3分もかけないで、さっさと必殺スペシューム光線出して、し仕事すませてよ。それなら、戦いで街とかも破壊されないでエコだし」

と、いうことになる。

ま、力道山とかのプロレスの同じですな。



「キ●ガイオチ」なんてのも、「最後に主人公は発狂したのでした」ってオチは、短絡すぎて漫画家の才能が問われるわけです。


ところが、映画では、これを平然とやる。(苦笑)

チャウ・シンチー監督の「少林サッカー」とか、最後に女の子が、一種の超能力的な力を出してサッカーの試合に勝つんだけど、これをやられると、「これまで一生懸命努力してきた他のメンバーって……」って思っちゃう。
これ、好きな映画ではあるんだけどね。


「シャイニング」ってホラー映画も、最後はジャック・ニコルスンがキチ●イになって終わるんだけど、正直がっかりしちゃう。

ホラー映画って、「夢オチ」「超能力オチ」「キチガ●オチ」のオンパレードみたいなところがあるんだけど、「それで観ていてホントに怖いの?」とか正直思ってしまうことがあります

ま、映画と漫画は違うのかも知れないけど、映画ファンはシラケないのかな? とか思っちゃう。



以前、幽霊をよく観るという人と話していて

それって幽霊っていうより、アンタの“想像”もしくは“虚言”じゃん。それがもしホントに幽霊ならタイクツ。精神異常で観ているのなら、もっと違う匂いがするよ……」

と、思ってしまったのを思い出して、これを書いてみたんだけど、この日記にオチはありません。悪しからず。(笑)