巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

社民党、ついに衆院から消える 理想に溺れた政党の末路

社民党衰退の構造 ― 理念政党が現実政治に敗れた理由

 社民党が、ついに衆議院から消えた。沖縄2区で実力で勝ち続けてきた新垣邦男議員が離党したことで、衆院社民党議員はいなくなった。かつては総理大臣まで輩出した大政党が、今や泡沫政党に成り果てた。

 その歩みには、理想主義と現実逃避が交錯している。

新垣衆議院議員は、社民党で一人だけ比例ではなく、小選挙区で当選している実力派議員である。いま社民党に残っている福島みずほ議員もラサール石井議員も比例。両者とも衆院ではなく参議院議員でこれで社民党から衆議院議員は壊滅したことになる

■「護憲・反戦」の看板と、現実政治のズレ

 社民党の前身である日本社会党は、戦後長く「護憲・反戦・反安保」を掲げ、自民党に対抗する二大政党の一角だった。一時は議席の30~40%を占めるほどの最大野党となったが、彼らは決して政権を取ろうとしなかった。

 

 高度経済成長期には労働組合日教組の支持を得て、地方選でも勢力を伸ばした。
だが、冷戦の終結とともに「反戦・反米」路線の意味は失われ、社会党の主張は現実離れした“理想論”になっていった。

 

■マドンナ旋風と裏切りの「村山内閣

 1989年、土井たか子委員長の「マドンナブーム」で一時は参院第一党に返り咲いた。女性リーダーの清潔感が注目され、社会党は再び希望を見せた。
 しかし、1994年に自民党とまさかの連立を組み、村山富市委員長が首相となると、党の信用は地に落ちた。自衛隊を「合憲」、日米安保を「容認」と認めた瞬間、これまでの理念をすべて裏切ったからだ。支持層は離反し、社会党は一気に崩壊へ向かった。

 

■「北朝鮮は夢の国」「拉致はなかった」という現実逃避

 1970〜80年代、社会党北朝鮮を「理想の社会主義国家」「夢の国」と称賛していた。
 拉致被害者家族が訴えを始めても、党内では「そんなことはない」「右翼のデマだ」と切り捨てる声が多かった。北朝鮮の独裁体制や人権弾圧を見ようともせず、イデオロギーに目が曇った結果、国民の信頼を完全に失った。
 この「現実を見ない左翼思想」こそ、社民党が再起できなかった最大の原因である。

この本は2003年に出版された。 "平和""人権"を貪った面々の裏面史とあるように多くの国民の期待を裏切ってきた。むしろいままでよく持ったと言っていいかもしれない。

社民党への改称と福島瑞穂体制

 1996年、社会党は「社会民主党社民党)」へ改称したが、もはや名前を変えても流れは止まらなかった。多くの議員が民主党へ移り、残ったのは護憲・フェミニズム脱原発を掲げる小規模左派政党。


 福島瑞穂氏の弁舌は鋭く、メディア露出も多かったが、現実政治の問題解決力は乏しく、支持は広がらなかった。拉致問題への冷淡さも尾を引き、国民の共感を得ることはできなかった。

 

■理念に溺れた政党の末路

 社民党は、理想を語ることに熱心で、現実を変える努力を怠った政党である。護憲・平和・人権といったスローガン自体はあってもいい、しかし具体策を持てなかった。
「現実を直視せず、夢の中で政治を語る政党」その姿に、かつての有権者は失望したのだ。

 

■そして今

 新垣議員の離党により、社民党はついに衆議院でゼロになる。新垣議員これまで2度離党届を提出しているが、社民党は「無効」として受け取らなかった。仕方なく新垣議員は離党届を郵送したそうだが、社民党では、よほど離れてほしくないのか「返送」する方針だそうな。


 これに対してSNSでが「辞めようとする社員を辞めさせないブラック企業そのもの」とか「もはや退社代行サービスに頼んだ方がいいのでは」と嗤われている始末。


 それでもまだ、福島瑞穂党首は叫んでいる。

高市内閣は史上最悪の内閣になりうる」「ものすごい極右政権」「社民党はこの高市内閣としっかり対決し、そしてこの内閣を打倒していく」
 だがどれくらいの人がこの言葉をマトモに受け取っているのだろうか・・・